09:愛情に近い同情
HOTEL VERRYから比べれば随分と質素なホテル。
やはりミッドガルにあるが、こちらは外れにあり、HOTEL FIRSTという名称が付けられていた。名称通り用途としてはビジネスホテルである。
最上階…といっても3階までしかないのだが、その最上階の一室で、ツォンはマリアと向き合っていた。
ビジネスホテルに女性と二人、周囲からすれば少々奇異である。
がしかし、ツォンがマリアを此処に連れてきたのには訳があり、それは甘い恋愛話のためでもなければセックスのためでもなかった。ただ一つ、話をするためである。
上着をいつもより乱雑に脱ぎ払い椅子に放ったのは、多分少々イラ付いていたからだろう。
ビジネスホテルは仕事の都合で幾らか使うが、大体寝るためだけに使用している。
ところが今日は真っ先にアルコールを煽り、衣類などは乱雑で、更には髪までも適当に乱れていた。勿論その乱れは艶のある話のためではなくイラつきのためである。
何度も掻き毟った髪が乱雑になるのは当然で、けれどそれを直そうという気概も起こらない。ストレートに長い黒髪はいつも完璧なくらい整えられているから、ツォンを知る人間であればそれがどれほどオカシイかが良く分かる。
マリアも当然、その一人だった。
ツォンとの付き合いは然程長くはないが、それでも大体は分かっている。
今日こんなふうに呼び出された理由も大体理解していたマリアは、そうして乱雑に全てに接するツォンにそれほど焦ることはなかった。
「“HELP ME”、気付いてくれたんだね」
いつまで経っても話を切り出さないツォンに痺れを切らしたのか、マリアがそう切り出す。
それに対するツォンの切り返しは、いつもからは考えられないほど冷たい声音で放たれた。
「一体何から助けて欲しいというんだ。約束しただろう、普段は連絡は一切しないと。それにこの前、もう辞めようとまで言ったじゃないか。忘れたのか」
「忘れてないよ、ちゃんと覚えてる。だけど助けて欲しい瞬間なんて調節できないじゃない」
「マリア!」
ツォンはガッと立ち上がると、ソファに足を組んで座っていたマリアを背もたれに押し付けた。瞬間、「きゃ!」というマリアの声が部屋に反響する。
しかしマリアは、至近距離で鋭い視線を送りつけてくるツォンに物怖じせず、普段の調子と変わらぬふうに笑いかけた。
それは当然、ツォンをイラ付かせる。
「今日のツォン、変なの。一体どうしたの?恋人とのデート中にたまたま私の電話が入っただけでしょう?そんなの大したことじゃないよ」
「お前にとって大したことじゃなくとも私にとっては重大なことだ。どうしてそれを想定できない!」
マリアは至って普通に、だって想定する必要なんてないじゃない、と口にした。
「恋人と上手くいってないって嘆いてる人が、いつその恋人に会うかなんて分からないよ。それじゃ365日ずっと連絡できない。でも私はツォンに助けて欲しかったから365日待つ余裕なんて無いよ」
私の言ってることは間違ってる?
マリアはそう問うてくる。
ツォンにとってその問いへの答えは当然「YES」だったが、そのままそれを返したところでこれでは堂々巡りである。
責めたところでマリアは同じ主張の一点張りだろうし、その主張を曲げるとも思えない。CLUB ROSEの一番人気の美女は儚げな顔をしながらも自信に満ち溢れている。
最初は、こんな女性ではなかったのに。
…いや、そうじゃない。
そうではなくて、きっとこれが本来の姿なのだろうが、彼女もやはりある種の病を抱えており、それがあるからこそその本来の姿でい続けることができないのだ。
ツォンが出会ったとき、彼女は正にその病のどん底におり、だからツォンの印象の中で彼女は変化しているように感じられるだけである。
ツォンは少し考えを変え、「だったら」と口にした。
「なぜ私がお前を助けねばならないのかを教えてくれ。私はお前の恋人でも何でもない。従って、お前を助けることなど出来ない」
「え…」
その言葉を受けた瞬間、マリアは驚いたように目を見開く。
今までの気丈な態度が一瞬のうちに崩れたように、その表情は無防備になる。
「そもそも何から助けて欲しいというんだ。悪いが、寂しさだなんて言葉は受け付けられないぞ」
「…ツォン」
急激に切ない表情になったマリアは、暫く黙ってツォンの顔を見つめると、一つ息を吐き、そっと床に目を落とした。
ツォンが力を緩め手を離したおかげで、押さえつけられていたマリアの身はすっと自由になったが、その身体からはまるで力が抜け落ちてしまっている。
だらりとした様子で床を見つめていたマリアは、消え入りそうなか細い声を出した。
「――――ツォンは随分身勝手なんだね。誠実そうで優しそうに見えるのに全然違う。やっぱり男ってみんな同じなんだ。身勝手すぎる」
「なに…?」
少なからず不本意な言葉を受けて、ツォンは思わずそう口を出す。
「今までみんなそうだった。優しい言葉をかけて優しく抱いて…だけどみんなそこで終わりなの。私はCLUB ROSEのマリアでしかないの。ねえ…知ってる、私の本当の名前?」
マリアはそう聞いたわりに、自ら「知らないよね、聞きもしないんだから」と答えを出した。
確かにツォンはマリアに本名など聞いたことがない。マリアが源氏名だということくらいは分かっていたが、本名を問う必要性は感じなかったし、それがどうしたのかと思うレベルだ。
しかしそれは、彼女の病に直結するほど重要なことだった。ツォンがルーファウスとの久々の時間を重要だと感じていたのと同様に、重要なことだったのである。
「私は私のことなんてどうでもいいの。半年くらい前までは、そのピークだった。――――それなのに…ツォンがそれを引き止めたんじゃない」
「あれは…」
半年前のことを引き合いに出され、ツォンは時間が止まったように動きを止めた。
半年前――――確かにあの時は、そう…それを引き止めたけれど。
それは間違いではないけれど。
「希望なんて持ちたくもなかったのに、ツォンが持たせたんじゃない。生きてなんていたくなかったのにツォンが生かしたんじゃない。それなのにどうしてそんなふうに見捨てるの?貴方が…貴方が私の人生に入り込んできたんじゃない!」
わっと声を上げたマリアは、そのまま両手で顔を塞いだ。
その手の間からくぐもった声が流れ出てくるのが妙に痛々しく感じられて、責められているというのにツォンは悲痛な面持ちを見せる。
先ほどまであれほどイラ付いていたのが嘘のように、マリアの嗚咽はツォンを一変させていく。
あの時のことを引き合いに出されるのは――――辛い。
あの時はツォンもある種の病の中にいたし、その中で同じように俯いている姿に出会えば、同情も起ころうというものである。
ただ、その同情は確かに尋常ではなかったかもしれない。
愛情に近い同情でなければどん底まで落ちてしまった心を持ち上げることなどできないし、もしかするとそれは実際、あの一瞬だけは愛情だったのかもしれない。
同じように、つらい病に伏せる心。
そこに自分を重ね、自分を救い出そうとした…というのが事実だったのかもしれないが、それは今告白するには遅すぎる分析に違いない。何しろその愛情か同情かを引き連れて、時は流れてしまったのだ。
「ツォンの恋人は…幸せだよ…。どんなにこじれてたって、ツォンは…その人の事が好きなんだもん。その人はツォンに、愛されてるんだもん…。でも…私は…絶対に…愛されたりなんかしないから…」
「……」
“どこに居たんだ、ツォン…どうして電話にも出ない…”
“すみません、わ…たしは…”
――――あの時、あれほど傷つけたのに…?
本当に、幸せなのだろうか。それが。