13:かつての誇り
安全装置を外し、引き金を引く。
その引き金を引けば、もう後戻りは出来ない。
パアアアン―――――――!
瞬間、何かが破裂する。
血が流れていた。
ヒクヒクと最後の抵抗をするかのように痙攣するターゲットは、いかにも哀れである。
今にも死に行くというのに、その瞳は綺麗な色をしており、助けを求めているというより最後の風景を目一杯に焼き付けているように感じられた。
「さすがの腕前ですね。全く衰えていないじゃないですか」
「いや…そうでもない」
ルーファウスは煙を上げたままのライフルを手にしながら、静かにそう口にする。
謙遜というより決まり文句といった具合にその言葉を放ったルーファウスは、確かに指摘された通りまったく狩猟の腕を落としてはいなかった。確実に狙い、確実に得る。その技術は未だ健在である。
しかし技術が健在だからといって気持ちも健在かといえば、それはそうでもなかった。
幼少の頃より慣れ親しんだ高尚趣味は多く、狩猟もその一つである。
初めてそれを覚えたときには、ターゲットを追い詰める感覚とそれを確実に捕らえる感覚、そして自分はそれに勝ったのだという妙な満足感があったものだが、今となってみれば何故そんな感覚を覚えたのかその理由が全く分からない。
もしターゲットが動物でなく人間であったなら、これは確実に道楽殺人である。
ルーファウスは先ほど捕らえた獲物がぴくりとも動かなくなったのを理解し、自分が撃ったと分かっていながらも悪いことをしたと後悔した。
殺したいなんて思っていたわけではない。
でも、殺したという結果は変わらない。
「もし良ければ、今度、乗馬でもいかがですか?私の叔父が経営している乗馬クラブがありまして、これがなかなか良いのですよ。確か乗馬もなかなかの腕前だとお聞きしましたが」
「ああ、昔はな。最近ではすっかりご無沙汰だ。上手く随伴できるかどうか…」
「大丈夫ですよ」
にこりと笑ってそう言う男は、かつて狩猟で知り合った、やはりルーファウスと同じように御曹司という立場の人間だった。
女好きするような爽やかな風貌と軽やかで丁寧な口調が印象的で、世に言うお坊ちゃまというのがいかにも当てはまるようなタイプである。
「前々から我が家にご招待したいと思っていましたし、良い機会ですよ。ああ、そうだ。以前神羅邸にお邪魔した折に連れていったジョンも、ルーファウスさんに随分懐いていましたしね」
「ジョン?」
誰だと思って首を傾げると、それはどうやら彼のペットの犬だったらしい。そういえばそんなこともあったかとルーファウスは納得する。
確かそれは白い犬だった気がする。
品が良くて、いかにも彼の家に似つかわしい純血種の―――――。
「…そうだな」
ルーファウスはそれを思い出して、何となく沈んだ。
それでも何とかそう答えると、上辺だけの笑顔を見せる。それに返ってきたのはいかにも上品な笑みで、その彼こそ純血種のように思えた。
高尚な趣味を共有する仲間、高水準の生活レベルを維持する仲間。
それはかつて誇りだった。
高尚な趣味に興じることに興奮を覚えたあの頃には正しく誇りで、ルーファウスの中の自尊そのものだった。それらの事柄や仕事上の立場や肩書き、そういうものが自尊そのものになったのは、それに替わるものが他に無かったからである。
スラム街に住む“哀れな人々”がそれでも健常な笑顔を見せている理由を、その頃のルーファウスは知らなかった。
あれほど低レベルな生活をしていてみすぼらしい格好をしていて一生涯の保証すらあやふやだというのに、それでも彼らが笑える理由。
そういうものを目の当たりにした時、ルーファウスはあからさまに面白くなかった。
どう考えても彼らより上等な服を着ているのに、どう考えても彼らより不都合ない生活をしているはずなのに、食べるものにも困らずそれどころか道楽が山ほどあるというのに、何故だか面白くない。
彼らが楽し気に笑うその顔が憎らしくさえ思える。
理由の見えないそんな心持を、ルーファウスは長らく“誇り”で補ってきた。
誰にも手に入れられない誇りを自分は持っているのだと、そう言い聞かせてきた。
しかしそれは―――――ある日、壊れてしまったのである。
表面的には今も続いているらしいその誇りは、根本的な部分でガタガタと崩れ落ちてしまったのだ。
「そろそろ日が落ちてきましたね。どうですか、クラウンカフェでティータイムにしませんか?」
「ああ、そうしよう」
ルーファウスは男の言葉に一つ頷くと、クラウンカフェは久々だな、などと続ける。
クラウンカフェはオープンテラスの洒落たカフェで、薫り高い紅茶と敏腕パティシエの作るケーキが自慢の会員制カフェである。
その会員の全てがブラックカードの所有者というほど、その敷居は高い。だからそこに行く事は、“誇り”の証明と同じ事だった。
此処最近ルーファウスはクラウンカフェに足を向けていなかったが、恐らくそれは必要性を感じなかったからだろう。誰しもが入れる、ちょっとばかり雰囲気の良いレストランも好きだと分かったから。
それに、本当は―――――…。
「“暗くなるにはまだまだ時間がある”ことだしな」
上品に笑う男に向かって、ルーファウスは堂々とそう言った。
あれが欲しい、これが欲しい。
人が持っているものはいつでも欲しくなった。
それがどんなに嫌いなものであっても、人が持っているのを見るとさも良いもののように見え、とにかく欲しくて欲しくて仕方が無かった。
“あれが欲しい”
そう言って我侭を振るい何とかそれを手に入れる。
手に入れた当初は嬉しくて嬉しくて仕方ないのに、他の誰かが別のものを持って嬉しそうにしているのが目に入ると、やっとの事で手に入れたものすら何だか酷く詰まらないもののように思えた。
“こんなの要らないよ”
折角手にいれたものすら、そうしてすぐに捨ててしまう。
捨てて捨てて、それでもまた欲しくなって、そうやっていつでも間違ったものを欲しがる。本当に欲しいものが何かも分からないまま、羨望のためだけに“あれが欲しい”と見誤る。
だからいつまでも、大切なものは手に入らない。
大切なものが手に入らないから、間違ったものを選ぶ。
“あれが欲しい、あれじゃなきゃイヤだ”
本当はそんなものが欲しいんじゃないのに。
それが手に入りさえすれば、安心できる。
それが手に入りさえすれば、自分は此処に存在していても良いんだと思える。
幸せそうに笑う人々と同じように―――――、
自分は愛されていると、自分は幸せなんだと、そう思えた。