19:雨音を聞きながら…
大切なものが手に入らなくて、膝を抱えている。
間違った選択をしすぎて、立ち止まっている。
それでも「明日」はやってくる――――そう、容赦無く。
病める時も、
健やかなる時も、
永遠に傍にある――――未来。
しかし「未来」は、「幸せ」の代名詞では、無い。
その日、雨が降っていた。
天気予報は降水確率90%、確実に止む気配は無い。加えて強風注意報まで出ている始末である。
窓を打ち付ける強い雨に目をやったツォンは、小さな息を吐いた後に数枚の書類に目を落とす。
今日は治安維持部門と組んである調査を行う予定だったが、この悪天候では思うように動けないという事情で中止となってしまった。
タークスだけであれば少しくらい無理は出来たものの、あのハイデッカーが統率する治安維持部門となるとそうはいかない。
やれ軍を動かすのにどれだけの経費がかかると思ってるんだとか、やれ軍を何だと思ってるんだとか、やたらと文句を言われる羽目になると分かっていたから、ツォンは今日の任務を延期という形で処理したのである。
しかし思えば、天気予報は最初から大雨注意報と強風注意報を報じていたのだから、それを確認すればこのようなズレはなかったはずなのだ。
いつもであればそのくらいは気を遣えるのに、今日はこの有様…どう考えても自分の思考力が落ちているとしか思えない。
そのことにツォンは、独り苦笑した。
「明後日…に延期、か」
とりあえずその報告だけは上げておく。そして今日はもう外での調査が出来ないからと、タークスの面々には久々に本社警備をするように命じたツォンである。
本社の警備などは専任がいるのだし、そもそも重度セキュリティが敷かれているのだから警備する必要など皆無なのだが、仕事が何も無いとあってはそちらの方が大問題である。まあタークスの面々にしてみれば勤務中のオフのようなものだろう。
しかしツォンだけは司令室に篭りきりになっていた。
それは書類の整理をするためでもあったが、しかしそれだけが理由ではない。
こういう日は指令をする必要性もないからツォンもオフと変わりない気軽さで仕事ができるし、そういう日は物事をじっくり考えられる。
仕事上がりに自宅でものを考えるのは、場所的には落ち着くのだが、翌日が頭をちらつく限りは集中できないのと同じだ。
タークス本部の司令室では、休むこと無い高度システム駆使のマシンが常時点灯している。そのランプが視界に入るのは幾分か不都合だったが、呼ばれることがないと分かっていればまだマトモだろう。
ツォンは眺めていた書類をぱさりとデスクに払うと、カチリ、と煙草に火を点した。そうしてゆっくりと椅子に腰掛けると、煙草を咥えた指を気遣いながら額を手の甲に落とした。
「今日、10時…」
脳を旋回していたのは、昨日のレノの言葉である。
明日…つまり今日の夜10時、HOTEL FIRSTの305号室にてレノと話をする手筈になっているが、その話の内容がどうにも気になって仕方無い。
昨日の仕事後も、何となくそれが頭から離れなくて困っていたのだ。
「まさか…レノが知っているわけがない。ルーファウス様とのことを…」
知られて困る…というわけでもないが、組織的に問題が皆無かというとそういうわけでもない。上司、しかも副社長とそんな関係にあるとなれば、神羅という会社としては結構に問題であろう。
何しろ次期社長を約束されて副社長となったルーファウスは、神羅カンパニーのトップとして必ずその後継者を立てねばならない。子供を残す、という意味で。
そこにきて自分が恋人など――――思えば笑ってしまうような話だ。
しかし心というものは、そういう形式的なもので抑制できないのである。形式だけを考えれば、ルーファウスとて自分などは選ばなかっただろう。
「しかし仕事以外など…一体ほかに何がある?」
プライベートな事柄で、恋愛事情を抜かすとなれば、それはただの個人情報である。
例えばどんな経歴でどんな収入でどんな人間関係があるか…まあそれは様々だが、しかしそれがレノにとって問題になるとも思えない。
万が一、タークス内での立場がどうのというのならば、それは心に貯めておく必要もないだろうし、もっと以前から兆候が現れているはずだ。
しかし、そうじゃない。
レノはあの日突然、あんな姿を見せたのである。
「……そういえば」
煮詰まって窓の外を眺めると、そこには降りしきる雨が見えた。雨の粒は容赦なく窓に当たり、ザザザアという音とボタボタという音が交じり合っている。土砂降りという形容が良く似合う。
そういえば―――――…
「あの日も…雨だったな…」
そう、こんなふうに雨が降っていて。
衣類がぺったりと肌に張り付いて、冷たかった。
でも、それを重ね合わせたら、冷たさはやがて暖かさに変わっていった。
「……」
景色すら滲ませてしまうような大雨を目にしながらも、ツォンの瞳は既に違う景色を見つめていた。
それは半年より少し前の話で、やはりその日もこんなふうに雨が降っていたが、それでもツォンは仕事に手を尽くしていたのである。
そう…あの日――――…