32:譲れない気持ち
「私にはお前とルーファウス様が懇意になった経緯など分からない。しかし、現状懇意であることは分かっている。お前はもしかすると――――私とルーファウス様の過去も知っているのかもしれないな。いや、それどころか現状がどうであるかも」
「―――ああ、知ってるよ。全部。本人から聞いたから」
静かにそう口にしたレノは、幾分かつまらなそうな顔をしていた。
つまらなそうな、というよりも理不尽であるとか納得がいかないとか、そういう類の表情といったほうが正しいかもしれない。
全部知っているなら話は早い、そう思ったツォンは、レノであろう男がマリアを訪ねてきた事について口にした。
まさかこんなところでレノを前にしてこんな話をすることになろうとは思ってもみなかったのに。
「CLUB ROSEという店に、マリアという女性を訪ねたのはお前だろう?それを聞いてようやく理解できた、お前が何故私に対して妙な言葉を発したり態度を取ったりするのかが。…あれも、ルーファウス様からの特別任務とやらか」
「別に。単に見てみたかったから。ツォンさんが副社長放ってまで惚れてる女がどんなヤツなのかってさ」
余程良い女なんだろうと思って見に行ったのにいないしさ、と愚痴をこぼしたレノに、ツォンは待ったをかけた。
ルーファウスを放ってまで、というのはどうにも心に引っかかる言葉である。
確かに現状そういった状況に陥ってはいるが、別にそれはツォンの本音ではない。
言動からしてレノがルーファウスの尺度で物事を見ているのはほぼ確定だろうと踏んでいるツォンとしては、その物言いからしてルーファウスがそう思っているのだろうと感じた。
自分を置き去りにして愛した女、と思っているのだろうと。
「私はルーファウス様を放ったつもりはない。そんな気持ちは毛頭ない」
「けど、結果的にはそうじゃん。副社長だってそう思ってる」
レノはポケットに手をねじ込むと、デスクに寄りかかるようにして浅く座った。そうして床を見つめながら、“だから今があるんじゃん?”、と口にする。
それは、否定できない事実だった。
でも。
「―――――そうだとしても、私の気持ちは譲れない」
ツォンは真っ直ぐレノを見ると、迷いのない声で断言した。
その言葉に顔を上げたレノと、視線がぶつかる。
まるで宣戦布告のようなその言葉はツォンにとって、震えていた指の、その震えを必死に押さえたようなものだった。
電源すらONする勇気が出ない――――けれども、その準備だけはしておかなければ。
そうでなければ、失ってしまう。
目に見える事実だけではなく、気持ちまでも。
繰り返してきた代償行為を、どこかで止めなければならないのは分かっているのだ。
その始まりは、思えば今小脇に抱えているノートパソコンのパスワード…つまり、レノが妙にこだわっている”タークス主任”というそれだったのである。
恐らくその事実は未だルーファウスも知りはしないだろう。だから、レノもそのことについては知らないはずである。
その浅ましい代償行為が、次々と間違った選択をさせてきた。
それが今に繋がっている。
しかしその事実はツォンの目から見てみなければ分からないものであり、それを知るものはツォン独りだった。確固たる自分を知る、唯一の自分。
レノの挑戦的な言動が本領発揮というならば、ツォンの中の確固たる自分というのもまた本領発揮と同じものである。
本当の自分は、いざという時にやってくる。
数々の間違ったものの中でひっそりと息づきながら。
「―――ああ、そう。良く分かった。ツォンさんが大馬鹿野郎ってほどじゃないことはな。でもツォンさん、あの日約束を破ったことはデカいんだって覚えといて」
「約束…」
そう言われ、その約束というのが例の日の事なのだと気づく。
それはツォンにとってルーファウスの危機を知った日のことで、レノからの呼び出しに応じなかった日のことである。
「すまなかった、あの日は…」
「言い訳とか良いし。俺はあの日、ツォンさんにチャンスをあげたんだ。あの日は、ツォンさんにとっても俺にとっても副社長にとっても大切な日だったのに、ツォンさんは来なかった」
レノの言葉は、辛らつではあったが、それよりももっと違うものが含まれているようだった。悲しさとは違う、だけれどそれに似た色のもの。悔しさとも違う、何か。
しかしその微妙なニュアンスの意味するところが理解できなかったツォンにとっては、レノの言う“大切な日”が何故そう呼ばれるのかがやはり分からない。
あの日は、ツォンにとっても大切な日だったのだから。
しかし。
「―――――あの日、HOTEL FIRSTに居たのは俺じゃない。副社長だったんだよ」
「な…っ」
「でも、ツォンさんは来なかった」
「な…何故そんな…」
まさか―――――そんなことが?
ツォンはその言葉に驚いて目を見開く。
まさかそんな事情だったなんて知らなかった、というより知らなくて当然なのだし、あくまであの約束はツォンとレノの間にあったものである。
そこからすれば約束を破ったことは申し訳ないとしても、それはルーファウスには何ら関係ないことだったはずだ。
しかし、事実はそうではなかった。
あの日あのホテルで待っていたのはルーファウスで、もし約束通りツォンがそこに出向けば、二人はそこで会えたのである。それは知る由もなかった、レノの配慮だった。
「俺がオカシクなる前に、副社長がオカシクなる前に、どうにかできるんじゃないかって最後の賭けをしたんだ。ツォンさんが来てくれればこんな事にはならなかった。でも来なかったから。悪いけど、もう…取り返しはつかないから」
「―――――」
“どこに居たんだ、ツォン…どうして電話にも出ない…”
“すみません、わ…たしは…”
―――――あの時と、同じ。
肝心なときに、いつも、居ない。
「とにかく俺、任務があるんだ。その任務デカいから、不本意だけどツォンさんの肩書きの力を借りたいんだよな。主にタークスのネットワークだけど」
「…任務とは何だ」
先ほども聞いた内容、それをツォンは口にする。
一度拒否された質問でもあったから、回答をもらえる見込みはあまり無い。
それでもそれを口にしてしたのは、ツォンが一瞬でも焦りに近いものを見せたからだろう。
が、しかし。
何故かレノは、その質問に答えを出した。
「―――――護衛任務だよ。プレジデント神羅主催のパーティの」
その言葉を聞いた瞬間、ツォンは目を見開いた。