45:生じた”ズレ”
その日の深夜、ツォンは決心してルーファウスの元に向かった。
散々鳴った電話を無視したことに、どう説明すれば良いのかわかりもしなかったけれど。
それでも、ツォンは車を走らせてルーファウスの元に向かった。
そしていざ対面したルーファウスは、何かを想起させるほど憔悴しきった顔をしており、それを見るなりツォンは顔を歪めたものである。
『どこに居たんだ、ツォン…どうして電話にも出ない…』
開口一番、言われたのはそんな言葉で。
けれど直ぐに答えは出せなくて。
『すみません、わ…たしは…』
ただただ、口籠る。
素直に話せば良いのかもしれないが、それでもやはり恐怖の方が勝っており、まさかその恐怖の中ではあの事実を口にするなど出来なかった。
プレジデント神羅から既に聞き知っているだろう内容を、改めて自身の口から報告することは、内容が内容なだけにどうしても出来ない。何度か告白しようと口を開いたものの、それは矢張り声にはならなかった。
結局ツォンは、元々報告しようと思っていた事柄を伝えた。タークス主任に昇格したのです、と。
しかし、それに付随して口にしようとしていた数々の言葉は出てこず、結果それはただの昇進報告だけとなってしまった。本当であれば、ルーファウスに暖かい言葉をかけるつもりだったのに。
ルーファウスの反応は、端的なものだった。
そうなのか。
おめでとう。
一応それは祝いの言葉だったが、そこにルーファウスの感情は伴っていない。むしろ、ツォンの肩に乗った新しいその肩書きを、どこか煙たがっているようにさえ見えた。
ルーファウスにとってそのような昇進話は大した意味などなく、どちらかといえば今日の約束が何故果たされなかったのかという疑問のほうが大きいようである。
当然だろうか、何しろあれほど連絡をしたのに応答すらしなかったのだから。
その上で昇進話などされても、だからなんだ、ということになるのは当然である。
ルーファウスが欲していたのは、肩書きが出来たことによる何かではなく、肩書きなど何もなくても、傍にいて安心させてくれるツォンという存在そのものだったのだ。タークス主任ではなく、ツォン自身。
そんな簡単なことを、ツォンはいつの間にか忘れていたのである。
『今日…父親から厭なことを聞かされたんだ』
『そ…うですか』
ドクン、と心臓が鳴った。
『苦しかった…すごく辛くて…。あの時、ツォンに会いたかった』
それはもう数時間も前の話で、取り返しはつかないもので。
『約束、してたじゃないか…なのにどうして。――――何をしてた?』
『わ…私は…』
ドクン、と心臓が鳴った。
『それは、私には言えない…ことなのか』
『違います。そうじゃない。そうじゃなくて…私、は』
―――――違う?じゃあ、言えることなのか?
自問自答しつつ、ツォンは矢張り口籠る。
しかしそんな時間はそうそう長く続くことなく、ツォンは結局本当のことを話した。
といってもそれはあくまで鉄塔で起こった出来事であり、例の暗殺の話ではない。あの任務の話だけは、ツォンの中でタブーのように切り出せない傷となっていた。
瀕死の女性を助けていたのです、とツォンはそう言った。
自分が助けなければ死に行ってしまうような女性だったから、鉄塔から病院まで運んで、気が休まるまでついていたのだ、と。
それは間違いなく真実だったが、例の暗殺任務についてを隠しているツォンにはどこかぎこちない雰囲気が漂っており、その厭なムードはルーファウスに疑念を抱かせた。
その疑念は当然、ツォンが明白にした女性へと向いていく。
話をしていない暗殺任務などルーファウスには分かるはずも無いのだから、その方向性は実に自然なものだった。
ツォンは知らなかったのである、ルーファウスが暗殺の件について知らされていなかったことなど。
すっかりプレジデント神羅から聞かされているものと思っていたから、ツォンが後ろめたさを感じるのはどちらかといえば暗殺の件のほうだった。
がしかし、ルーファウスは違っていたのである。
それは大きな“ズレ”だった。
ルーファウスが心を痛めたのは知りもしない肉親の件ではなく、自分との約束を放棄し知りもしない女性を助けていたという事実のほうだったのである。
確かにその女性は瀕死で捨て身で、放っておけば死んでしまうような状態だった。しかしそれと同時刻、ルーファウスも精神上では瀕死に近い状態だったのである。
知りもしない本当の父親のことを初めて聞かされ、それが突然死んだと告げられ、過去の真実が明らかになった。
その上で自分は、あまりにも無意味で不必要な存在なのだとルーファウスは思い知ったのである。
あのとき、助けて欲しいと思った。
だからツォンに電話をした。
最初は、約束をしていたのにもかかわらずツォンの姿が見えないから電話をしたのだが、二度目は、本心から助けて欲しいと思ったから電話をしたのである。
元々の約束が破られたのは何かの用事が出来たのだろうと諦められたものの、プレジデント神羅から話を聞いた後はどうしても諦められなかった。
だから、ずっとずっとずっとかけ続けた。
声を聴くだけでも良い。それだけでも良いから、お願いだから。
そう思ってかけ続けた電話は、しかし繋がることがなかった。
そして数時間たった後、ツォンはやっと姿を現したのである。
そしてこの場でツォンが告げたのが―――――あの女性のこと。
『…許せない』
ぽつりと、ルーファウスはそう言った。
『お前は…人を救う真似事をしてそんなに楽しいか?』
『ち、違います!私はそんな…!』
『お前のように慰めてくる人間なんて初めてだった。だから信じてたのに―――――お前は結局』
私を裏切ったんだろう、とルーファウスは弱弱しく呟く。
目の前にある状況と目に見えない状況とでは秤にかけられぬことは充分に分かっていても、それでもルーファウスはそのことが許せなかったのだろう。
時を同じくしてSOSを出し、そして自分は裏切られた。そうとしか思えない。
しかしそんなルーファウスの言葉は、ツォンには違うものに聞こえていた。ズレの生じている二人の間では、原因がまるで違ってしまっていたのである。
ツォンはそのルーファウスの責めの言葉を、例の暗殺の件だと思い込んでいた。
自分を助けるだなんて言っておきながら結局はそうして傷つけて裏切る、そういうふうにルーファウスは言っているのだろうと思っていたのである。
その時のツォンにとって、あの女性のことは重要ではなかった。あれは一時的な、苦渋の心が生んだ一時的な代償行為なのだと、そう理解していたからである。
『もう、良い』
『ルーファウス様…』
二人の間に出来たズレは、そこから大きな亀裂を生んでいったのだった。