Borderline(2)【ツォンルー】

ツォンルー

 

男の退社から幾日か過ぎた頃、再度食事などに誘われたツォンは、本来タークスの連中との約束がある中、それを断ってルーファウスとの食事に赴いていた。
ツォンも、例の男の退社を知っていて、だからきっと今日もその話なのだろうと漠然と考えていた。しかしそれはどうやら違っていたらしい。
ルーファウスがツォンを食事に誘ったのは、思いがけず昔話の為だったらしく、席についた瞬間にこう切り出し始めた。

「この関係…つまり私達の。お前はどう思っているだろうか?」
「…はい?」

唐突すぎて首を傾げてしまう。今になって何を突然…そう思うが、確かにそれは一度腹を割って話すべきことのような気もする。

友人としての二人。
恋人としての二人。
その、違い。

ウェイターに取り敢えずの注文をしたルーファウスは、その後ゆっくりと話の続きをし出した。

「お前は私を我侭だと思うのだろうな。そして都合が良い、と。…実際その通りだし私もそれは認めている。こういうのを甘えだというのも…知っている」

切り出し直後の言葉のしてはそれは重すぎるものだった。けれど別れ以降その話に触れることが無かっただけに、そうなっても仕方無いものであるし、むしろその重さはルーファウスの本心を示しているかのようで、否定や嫌悪を表しようとは思わない。
それよりも――――――もっと実直に、向き合わねば、そう思う。

「お前は別れの日、何も言わなかった。私を責めることもしなかった。―――何故だ?」
「そうでしたね」

確かに、別れようといわれたその日、ツォンは何も言わずにそれを受け入れたのだ。ソレが何故かといえば難しいが、とにかくそれが想う人の希望だったからそれに従おうと思ったのだ。

「それが貴方の望むことだったからです」

思った通りにそう言うと、ルーファウスは、お前らしいな、などと言って仕方無さそうに笑う。

「お前の意見はどうだったんだ。ずっとそれが聞いてみたかったんだ」

そういえば直ぐにYESを返した訳で、ルーファウスはツォンの本心など知らない。確かにそれは彼の立場からすれば気になるものだったろう。
本来なら否定されこそすれ、笑顔で受け入れてもらえるはずなどない、その答え。あの頃の気持ちは、そう聞かれてツォンはどう答えようかと少し考えざるを得なかった。
あの時、あの瞬間、そう切り出されて。
自分が思ったこと―――。

「―――“何故?”…それが一番でした」

どうしてそういうふうにしたいと思うのか、それが一番疑問で、そして。

「それから、私が至らないからなのだと思った」

相応しくないから、だから側にはいられないのか、と。

「最後に思ったのは、私は貴方を見ていたいという…それだけだった」

それは関係が変わってきてしまった今も尚、そうしようと思えばできる事で、今もきっとそうしている。それだからボーダーが必要だったのだ。友人と恋人のボーダー。

頼りあうことは今もできる。ただ無いのは絶対的な束縛だったり。身体的な繋がりだったりするだけで何も…いや少ししか変わらない。
お互い束縛することもない、それでも頼りあえる、多分本当は理想形の関係。

「そうか…」

聞けて良かった、そんなふうにルーファウスは零しながら、そっと微笑む。それから少ししてやってきたドリンクやら食事などを前に、今度は微笑みすら浮かべずにポツリとこう言った。

「相手を想うということは、時に難しいな」

その言葉はどこか悲しくて、重みがあって…しかしとても暖かい言葉。
ルーファウスの表情はどこか物憂げで、そんな顔を見つめながらツォンは、そうですね、そう言った。
そうした肯定を受け、ルーファウスの口からは、長らく語られなかった重要な真実が語られ始める。
それはツォンもずっと不思議に疑問に思ってきた、事実。

「別れを…決意したのは私だった。私はお前の側にいると、強くなれる気がしていた。誰がいなくとも生きていけると、そう思えるくらい…多分、強いと思っていた」

しかしそれは、本当の強さじゃなかった、そう言ってルーファウスの顔は笑った。どこか寂しげに。

「しかしそう思うと同時に、本来の私は、お前と共にある私を拒んでいた。お前が側にいること…その状況とか安心とか…そういうものに甘んじることを、拒んでいた」
「…だから別れを…決意した?」
「ああ」

馬鹿馬鹿しいだろう、そう問いかけられてツォンは仕方なく笑ってみせた。
ルーファウスの言わんとするところは分かっている。その決断理由と今があまりにも矛盾しているという事…それをルーファウスは“馬鹿馬鹿しい”と表現したのだ。

確かに、あの頃の状況や安心に甘んじることが決断理由であるに関わらず、今こうして二人でいて、尚且つ頼りあっているのはオカシイ事かもしれない。結局今の昔も。心の奥底どこかで相手を支えとして生きている事に変わりはないのだから。

「そういう自分が時折、嫌になる」

そう言って、ルーファウスはドリンクをぐっと飲み込んだ。

「…それでもあの頃に戻ろうと、そうは思わないのですね」
「…それはプライドだ。…多分、ちっぽけな、な」
「貴方らしい」

プライドは。あの頃に戻ることを許さない。
つまり、一旦決意したことを守り通さぬことを、拒んでいるのである。
ツォンはやっと料理に手を付け始めると、今さっき聞いた真実と、現実とを、心の中で整理し始めた。

目前には自分のプレゼントしたタイがチラ付いている。
その中で。
――――今こうして全てを話している。

あの頃言えなかった心をお互い暴露し合い、全てをクリアにしている。それはあの別れという決断があってそれぞれが離れたからこそ出来ることだったのだろう。

しかしそれをしたからといって、今度どう変わるということも無い。これもまた事実なのである。戻りたいというわけでもなく、戻るわけでもない。その確定された事実を前に、真実を語り合うこと。
その意味。
――――結局それこそ、矛盾している。

そうして真実を語ることは、より深い信頼を置く事に繋がる。けれど多分それをしたのは、そうしたいからではなく、そうできる状況だったからだ。
二人の関係と、心の状態が。

「私はあの男を、最初は理解できなかった」

ふっと思考を途切れさせるように響く声にツォンが顔を上げると、そこには比較的穏やかな顔をしているルーファウスがいた。
あの男というのが、例の退社した男のことを指しているのだと分かり、ツォンはただ頷く。
それを確認してからルーファウスは話を続けた。

「恋人と浮かれている時間は、恋人を選ぶのは普通…道理だ。だが、最終的にそれを選ぶのはおかしいと思っていた。環境を捨ててまでその価値があるのか、と」

けれど、それを受け入れられなかったのは、結局、破綻した自分の恋愛にも通ずるものがあった。

「何が一番大切なのか…あの男は迷わず見極めただけの…それだけの話だったんだな」

私にはできなかった、そう零す相手に、ツォンは言う。

「けれど貴方は今も、自分の決断は間違ってはいなかったと思うのでしょう?」
「…どうかな」
「しかし、戻れない」
「…そうだな」

先ほどルーファウス自身がそれを言っていたのだ。あの男はもう神羅には戻ってこない。

――――それは、彼の意思。

ルーファウスはもうツォンの元には戻ってこない。

――――それは、ルーファウスのプライド故。

しかしルーファウスの憂いの表情は、もう戻れないという決意…いや束縛している己自身のプライドを責めているかのようだった。それが悪いことかどうかという問題ではなく、どことなく悔いがあるという雰囲気である。

「あの男の気持ちが分からないと言った時…多分私は、羨ましかったんだろうな」

迷いもせずにそうできた、その男が。
邪魔なプライドすら捨てられた男が。
建前など、ものともしなかった男が。

「でも私にはできなかった。―――その上、私は未だにお前を頼ってる」

“すまない”、そう言葉が響く。
お互いの手の動きは止まっていて、折角の料理も熱を放してしまっていたが、そんなことすらどうでも良いと思えるような、それは空間だった。
――――今こんな大切な告白・・・・
けれど、悲しい。
何故ならお互いがどんなに真実を語り合い、謝罪し合い、認め合おうとも、行き着く真実は一つなのだ。

―――――――“戻れない”。
たったそれだけが未来に続く真実。

ツォンはふっと手を差し出した。訳が分からないままルーファウスがそれに対して手を差し出すと、その二つの手はすっと重なり合った。
ソレは何だか不思議な空間で―――でも、暖かだった。
とても、とても、暖か。

多分この手はずっとずっと繋がれていたのだ。お互い見つめあった時から今の今迄の間、途切れることなく、心と同様にして繋がっていた。
けれど、そうすることが何かを壊していたのだろう。
心の均衡が壊れ、何かを見失い、目の前に見える事実だけを真実と思わせていた。

この繋がっていた手が、先ほどルーファウスが口にしていた“甘え”なのである。勿論それはルーファウスだけでなくツォンも同じことだった。
例えば目前のタイに、ホッとしてしまう心は、それだ。

「貴方は。例の男に何と言いましたか。最後の最後に?」

そう問われ、ルーファウスは正直に質問に答えた。
“最も大切な道を、進むと良い”
それを聞いてツォンは微笑むと、

「私も同じ言葉を、貴方に贈りましょう。今、貴方に」

そう――――言った。

 

甘えも、そのタイも、全て消し去って。
一人の人間に戻ろう。
“一人”という人間に。

 

もう立ち上がりなさい。
寂しい顔などしないで、涙を拭いて。
本当はもっとずっと側にいてあげたいけど、どうやらそれは叶わぬようだから…だから。

自分の足で立って、自分の足で歩いて。
隣に誰もいなくても、くじけずに前を向いて。

貴方が貴方であるように。
私が私であるように。
ただ、そう願う。
お互いの為に。

 

 

 

目前でタイが揺れている。
しかしそれは、見慣れたあのタイではなく、サイケ柄の派手なものだった。
ふっと我に返り顔を見上げれば、そこにはあの笑顔は無くて、仕事を彷彿させる別の顔がある。
それを見遣りながらツォンは、そっと笑った。
ほら――――今、微笑む事が出来る。

「恋人じゃなくて不満かな?」

そう問う相手にツォンは笑いながら首を横に振ると、すぐに仕事の話を始めた。

私は此処に今もいる。
だがこの空間には、あの頃の私はいない。
たったそれだけのことで、今も私は私で在り続ける。

今は、それだけが真実だから。

 

 

END

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