03:ONE NIGHT 始まりの記憶
自室で待機するツォンの頭を占めていたのは、いつかのルーファウスの表情だった。
あの夜をきっかけに全ては始まったが、その時のルーファウスは傍目に見ても普通では無かった。
一夜限りの慰めに相手が欲しいのかと納得して付き合ったものの、どうやらそれは違っていた。そもそもルーファウスの場合、“相手が欲しい”と思うならば、候補はいくらでもいる。相手が拒否したところで、それを無効にするだけの権力を持っているのだから、誰でも良いといえば良いのだろう。
神羅には少なからず女の存在もある。なのに、自分を選んだのは何故だったのか。
近い存在だったから、ではもう納得がいかなかった。
いくら自分が仕える身であろうとも、理由は必要だった。
あの夜。
本日の業務は終わりましたね、そう言いながら帰ろうとしたツォンを、ルーファウスは呼び止めた。
『少し…話をしないか』
『話?――構いませんが』
話などいくらでもしてきたではないか。そう思ったが、ルーファウスの表情が暗いのが気になった。
取り敢えず勧められて腰を下ろしたソファーで、ルーファウスの話を聞く事にしたが、どういう訳かなかなか内容が出てこない。
『どうしました?』
ただ俯くだけのルーファウスに、ツォンはそう声をかける。
『…人は』
催促されてようやく喋りだしたルーファウスは、かつてない程の弱々しい面持ちをしており、その表情は少なからずツォンの心に衝撃を与えた。
―――泣く寸前。
そう思った。かろうじて涙は流れなかったものの、瞳が潤んでいるのがその証拠である。
見たことが無かった。
いつでも上からの物言いと視線しか与えられたことの無いツォンにとって、それは信じがたい事であった。とはいえルーファウスも生きた人間なのだから、そういう感情が無いとは言えない。今迄の人生でそうした表情を見せることもあったのだろうが、しかし、自分のような存在にそうした感情を許したのが意外だった。
『人は、何かを欲しがる。しかし…どうしてこう合致しないのだろう』
『合致しない?』
『ああ。だから…どうして互いに違うものを求めるのか』
何故いきなりそんなことを言い出したのか、ツォンには分からなかった。単純に答えを出せば、それは違う人間ならば違う思考があるからに他ならなかったが、それをすんなりと口に出すことは出来なかった。
『…納得できない結果など、欲しくない』
ルーファウスは続けてそんなふうに言う。
『―――全てを服従させるには、どうしたら良い?』
『ルーファウス様…』
もう既にそれ程の権力をお持ちではないですか、とツォンは続けて返してみたが、それでもルーファウスは納得をしなかった。
違う、そういう事じゃない、と盛んに首を振る。
『例えばお前だって、心の中ではどう思っているのか分からないじゃないか』
唇を噛むようにしながらルーファウスはそんな言葉を吐いた。
『何をおっしゃるのです。私は…』
そこまで反論しかけてツォンは、はっとした。
表面じゃないのだ。今ルーファウスが欲しがっているものは、それは。
『―――もしやそれは。特定の誰か…、なのですか?』
『違うっ!』
ルーファウスは激しい剣幕で否定する。しかしツォンにはそれが言い訳のようにしか思えなかった。
だが、その特定の誰かなど心当たりも無い。もしかすると、ルーファウスは一般的な恋愛感情に陥っているのかもしれない。ならば説明もつく。しかし神羅内の女性社員に焦点を当てたとしても、あまり納得はいかなかったが。
『…こんな苦しい思いは初めてだ』
そう呟いたルーファウスは、ふとツォンの袖を掴んだ。
『お前は裏切らないな?』
『勿論です』
『当然の答えだな』
言葉とは裏腹な苦悶の表情のまま、ルーファウスはその手をツォンの肩に移した。
何だろうか、この接近具合は。そう感じながらも、ツォンは様子を伺っていた。
しかし、予想外の展開に思わず背を反らす。
『んッ…!』
それは、突然の口付けだった。
端正な造りをしているその顔が、ツォンの目と鼻の先にある。それは己の奉仕すべき主のもので、こうなるはずが無い人物でもあった。
なのに、何故?
『…理由など必要ない。何も言わずに、このまま――』
ゆっくりと離された口から流れた言葉に、反論する術など無かった。反論する理由ならあるいはあったかもしれないが、それはどうでも良い事のようにも思える。
そう、きっと動転しているのだ。同性だとかそういう事はこの際捨て置いて、どうせ一夜限りの付き合いならば、それに応えるのが務めだろう。
そう考えながら、ツォンはその腰に手を据えた。
それは、ルーファウスの執務室での出来事だった―――。
思い出から我に返り、ツォンは己の手を見つめた。
あの時、この手があの身体を抱いたりなどしなければ、こんなふうに思う事も無かったかもしれない。
主従の関係は良く理解している。
何かを求められれば、忠実に返す事…それが何であっても。
確かに立場的な感情は大きい。奉仕すべきだという感情と、耳にしてしまった「新組織」の話への、タークスとしての感情。
だが、その裏に交錯している個人的な感情が、今や大きくなってしまった気がする。
そもそもその組織の話に憤慨するのはタークスとしてなのか、それとも個人なのかが問題だった。
ふと、可笑しくなる。
自分の望みは、本当の望みは何なのだろうか?
だがしかし、はっきりしている事はある。
あの人の「望み」だけは切り崩してやる事―――。
ガチャリ、と音がしてツォンの思考は途切れた。
「…遅くなった」
そう言いながら無造作に入ってきたのは、もう呆れ返るほど考えていた相手である。その顔を見ながら、ツォンはふっと表情を緩ませた。
「お待ちしてましたよ、ルーファウス様」
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