神羅の影:17
しかしそれでも、故郷と聞いて晴れやかになれるザックスではなかった。
それは別段、飛び出してきた過去があるからとかそう言うことではない。そうじゃなくて、この前の瓶底オヤジの言葉を思い出すからである。
家族みたいだと、そんなふうに言ってくれた瓶底オヤジ。
その家族は、瓶底オヤジと自分と、そしてクラウド。
他人でしかありえない者同士が、それでも家族という絆を持とうとすること――――それは実に大きなことだ。
けれどそれは出来ない選択で、嬉しかったけれども、その喜びを100%受け止めるわけにはいかなかった。
でも、それでも思うのだ。
家族ほどに大切なものだから、失いたくはないと。
それは贅沢な願望かもしれない、何しろその絆を確実なものと決定付けないままにその継続を望むのだから。
―――――でも、もう失いたくないと思うから。
誰も、誰一人として。
大切な人はもう、誰も失いたくない。
今迄そばから消えていってしまったものは沢山あり、それは必ずしも自分の責任というわけではなかったが、それでももう嫌だと思うのだ。
大切な人が失われれば失われるほど、過去の時間も失われる。大切だった時間すら仮初だったかのように色あせていきそうで。
「…あ」
どこか上の空になっていたザックスの隣で、寝転でいたクラウドが突然そんな声を上げた。そうするが早いか、バッ、と起き上がる。
その動作でカサカサと揺れた多年草に気付き、ザックスはふっとクラウドの方を見遣った。すると視界の先のクラウドは、どこか遠い所に視線を投げている。
その視界の中にあったのは―――――…。
「――――見て、ザックス。螢だよ」
「え?」
そう言われてガバリと起き上がったザックスの視界には、クラウドが言ったように蛍がいた。とはいえ、その姿はハッキリと見えるわけではない。ただ、広範囲の視界の中に点々と、まるで灯火のような蛍の光が映し出されていたのである。
ぽうっと光る、蛍。
それは、暗闇の中でさえその存在を主張するかのように輝いている。
「…すごいね」
「ああ、すごいな」
ザックスとクラウドは、肩を並べながら視界いっぱいに光り輝く蛍を見詰めていた。
お互いの顔などは見ることなく、ただ全面に光る光を見詰めている。夜空に輝く月と、それからサラリサラリと流れる川。そしてこの蛍の光。
それから――――…それから。
「なあ、クラウド」
ふっと、ザックスの視線がクラウドに移される。そうしてクラウドを見遣ったザックスは、微かな笑みを浮かべながら、
「――――俺は、クラウドが好きだ」
そんなふうに言った。
その言葉はクラウドの顔を振り向かせ、そして緩やかな微笑をその顔に灯らせる。それはどこか大人びた落ち着いた微笑で、静かな夜の中に消え入りそうだった。
侵される事の無かった純粋を背にした二つの影は、そっと、重なっていく。
蛍の光に囲まれながら―――――…。
何だかタイムスリップしたかのような空間だった。
そんな事を思いながら帰路についたザックスは、クラウドと共に瓶底オヤジの元まで戻った後、もう一度外出することにした。
部屋まで着けば、もう結果は見えている。それは分かっている。
確か以前もそうだったが、こうしてクラウドと会話をした後に来るのは―――変え難い現実でしかない。
我に返った時、隣にいるのは自我を失ったクラウドに違いないし、それを見れば自分はまた同じことを繰り返したのだと自責の念にかられるに決まっているのだ。
しかし実際その自責の念から逃れたいという気持ちは、その時のザックスにはそれほどなかった。
今回は自らこの状態を選択したのだから、多少の覚悟はあったのだろう。だから恐いだとかそういった気持ちはない。
ただ、何となく思ったのだ。
すぐさまそういう状態を目の当たりにするには、何だか勿体無い、と。
今日あの川原で見たことや感じたことは、最近ではすっかりと失われていたものである。そういうものに触れて、何となく幸せな気持ちすらしていて…そんな感覚を、すぐに失うのは何だか勿体ない。言うなれば、もう少し浸っていたいといった感じ。
だからザックスは、自分の行動の意味を理解した上で、敢えてその日はクラウドの側を離れて外出した。それは明朝近くだったから、特に行くあては無い。店も開いていないし、誰かが歩いていることすら無いだろう。
しかしともかく、どこでも良いからまだこのままでいたい。
何となく、そんな事を思った。
そうして行くあての無いまま街を彷徨っていたザックスは、例の酒場の前を通り過ぎると、ふっと地面に目を落とした。
店はもう既に暗く、さすがに閉店している。
ザックスの脳裏に浮かんだのは、つい数時間前のルヴィとの言い争いのような会話のことで、その時は確か本当のことを口にしてしまったのだった。あんなことは口にするつもりもなかったし、できれば秘密にしておきたかった。
ドラッグを飲んでしまったこと、それから、クラウドと体を重ねてしまったこと。
それらは全てルヴィがその必要性を説いたもので、ザックスとしては否定してきたものだった。そういう意味合いからしてもあの告白じみた言葉はバツが悪いし、その上自分の本音を曝け出してしまったようで気分が悪い。
ルヴィとはそこそこ仲が良いが、まさかそこまで本音を言うつもりはなかった。いや、言いたくなかったのである。
かつて、憧れた男やクラウドに散々本音をぶつけてきたザックスは、そういった空間が崩れてしまった今ではもう、あの過去と同じ状況など作りたいとは思わなかった。
誰かを信頼することが出来ないとか、そういう意味じゃない。ただ、いつか失われるかもしれないという疑念が心の奥底どこかにうっすらと眠っていて、それが最後の最後にザックスの心を閉ざさせるのである。
以前のように、明るく何でも話せたら楽だろうけれど。
でも―――この状況だって、それを許しはしないのだ。
「全く…何やってんだ」
自嘲したザックスは、だれも通らない明朝近くの道を、ただひたすらに進んでいった。
例の酒場を越え、大通りを越え、そうして突き当たる道を曲がり。
新たに見えた道をまた進み、それでも進み、最後には道が途切れるのではないかというところまで。
しかしそれは途切れたわけでは勿論無く、いわゆる街道の終点だったらしい。それが証拠にそこから先は山道のようなデコボコ道になっている。
その上そのデコボコ道ときたら昇り坂になっているようで、どうやらその先にあるのは丘か山か、そういった類のもののようだった。
これを登るのはさすがに面倒だろう。
ザックスはそう思ったが、それでも少し考えた後に結局はそのデコボコ道を進み行くことにした。
特別理由は無かったが、もし此処で引き返すとあの現実に直面することになるのだから、その杞憂が大方の理由だといえるかもしれない。
ザックスはデコボコ道を進んでいった。体力は落ちてないな、などと思ったりする。鍛えられた体を持つ上に力仕事をもこなしているのだから、当然といえば当然だろうか。
そんな確認をしながら進んでいったその先は、どうやら丘陵だった。そして、最後には平地のような地面が目に飛び込んでくる。
周囲は背の高い木々で囲まれていたが鬱蒼としているわけではない。だから木々の間から風が入り込んで涼しげな感じがした。
「丘か。ってことは…もう町外れか?」
そんなことを呟きながらも平地を進んでいたザックスは、それが途切れるところまでやってきて、ゆっくりと視線を動かす。
足元は、断崖絶壁とまではいかないものの、落ちたらひとたまりもないだろうと思わせるくらいには小高くなっていて、そこからは街の全景が見えた。
「へえ…」
こんなところがあったなんて知らなかった。
つい数時間前にもそんな事を思ったが、今もそうだ。何だか妙な感動がある。
しかし先ほどクラウドと共に感じたものは特別で、やはり今此処で感じるものは多少劣るような気がした。
……と、そのとき。
「あれは―――…」
思わず上半身を乗り出すように見遣ってしまったもの。
それは――――あの建物である。
数日前、ルヴィから依頼されて行った仕事。それは神羅に譲渡されたという市の建物に関わる仕事で、今ザックスの視界にはその建物がしっかりと映し出されている。
例の建物は、この位置からだと随分近くに見えるらしい。要するに、少し小高い場所に建てられていたということだろう。
仕事の際には気づかなかったが、今この場所から確認してみると、市の中心部からは随分と離れている。確かにこんな場所では、来る人もいなかっただろう。
「そうか、こんなに近くに…―――ん?」
釘付けになっていた視界の中で、例の建物から数人の人間が現れたことにザックスは首を傾げた。
今が何時だかは分からないが、明朝近くであることは分かっている。
こんな時間に建物から人が出てくるというのは何だか妙な話だ。
そう思ったものだが、そういえばザックスの仕事はあくまで最初の一部分だけで、その後も数人があの建物で作業していたことを思い出す。
ザックスが仕事を受けた際、それは市の資金による建物の取り壊し作業だった。しかしその後、残りの数人が行った仕事は、新しく建物の所有者となる神羅カンパニーの為の改装作業である。
つまり今ザックスの目に映っているあの建物は、すっかり新しい外装を得た、神羅の所有物なのだ。
「くそ…っ」
神羅の所有物となれば、その建物から出てくるのは神羅の人間とも考えられる。そう思うとザックスは、自然と唇を噛み締めないわけにはいかなかった。
―――――神羅の人間たちが、あそこにいると思うと…。
しかし、そうして怒りに我を忘れられたのもほんの束の間のことだった。
何しろ、それ以上の衝撃がザックスを襲ったのだから。
「な…に…!?」
思わず、声が震えた。
視界に入るその建物から出てきた人間たち。
何故――――今日はこんな丘陵にまで来てしまったのだろうか。
そう自分を呪わずにはいられないほど、いま目に映るものは信じがたく、許せない。
建物から出てきた人間達は、数人で固まっており、ごちゃごちゃとして見えた。がしかし、目を凝らせばそれぞれの顔の区別くらいは容易である。特にこの場所からであれば、それは確信できるほどだった。
――――ああ、どうして……
どうしていつも、こうなってしまうのか。
一体、何が間違いなのだろうか。
胸に突き刺さるのは、大きすぎるほどの落胆と、そして、怒りだった。
「な…んでだ…。何でお前が……?」
ザックスの目に映っていたのは、神羅の所有物と化した建物から毅然とした面持ちで出てきた数人の男たち。
そのうちの一人…彼の姿を見間違えることなど決して無い。そう断言できる。
例えどんなに違う風貌をしていても、それは彼であると言い切れた。
そう、あれは―――――ルヴィだ。
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