17:本領発揮
「俺さー、本当は“こういう人間”なんだって。ツォンさんは俺の事を割り切り人間だって思ってるかもしれないけど、それは真っ赤な嘘。本当は割り切りたくなんてないんだよ。それが俺の本領ってヤツらしい」
「レノ、一体それはどういう…」
ツォンは少しばかり身を乗り出しながらそう問う。
椅子に座っているツォンと壁に背をつけ立っているレノとは、まるで今だけ立場が逆転してしまったかのように見える。それは高低の差ではなく、態度の差である。
ツォンさん、と名前を呼ぶレノの声音はやけに冷やかで、その時のレノはツォンの中にあったレノではなくなっていた。
それは、レノの言う“本領”の為せる業だったかもしれない。
「何でツォンさんみたいなエリートが、相手の気持ちの一つも考えてやれないわけ?」
どう考えてもおかしいだろ、とレノは続けざまに皮肉を口にする。
「仕事がそれだけ完璧に出来るくせに、どうしてそういうとこだけ完璧じゃないんだよ。上に居続けるなら全部それ相応にやってくれよ。仕事だけじゃなくて、それ以外も全部。ツォンさんがそんなだからオカしくなっちまったんじゃないかよ」
ルーファウスも、自分も――――多分。
レノの心中では、”彼の本領”が沸き立っていた。そこからすれば今すぐ決定打を口にしてもおかしくなかったが、それでもそうしなかったのはルーファウスの気持ちを何となく理解していたからである。
ルーファウスは、自分を呼びつけながらもツォンを好きでいる。
それを、レノは分かっていた。
ルーファウスの気持ちが何となく分かるというのは、ある意味では皮肉である。
仕事上ではどう足掻こうとも追い越せないツォンが、そういう場面では自分に劣っているかのようで、それが嫌だと思う。
また逆に、ルーファウスの気持ちを何となくは理解できるのに、それでもルーファウスに見合う仕事上の功績を上げられるのは立場上ツォンでしかないという点も、嫌だと思う。
仕事がステータスだなんて考え方はレノの中には存在していなかったが、それでも何だか許せない。
本領発揮の今はもう、それを“仕方が無い”とか“どうでも良い”などとは思えないのである。
レノの持つツォンへの敵対心は、レノ自身への怒りでもあった。
「レノ…お前、それは一体どういう…」
レノの言葉を受けたツォンは、何となくモヤモヤとしたものを感じながらも、それが明確ではない為に曖昧な言葉を返す。
相手の気持ち。
仕事以外。
そんなものは―――――思いつくものは1つしかない。
しかしそうであっても、そのようなプライベートな領域をレノが知っているわけがないと思う。
「分からないなら分かってもらうまでだよな。じゃあツォンさん、明日…そうだな、HOTEL FIRSTの305号室に来てくれよ。夜10時。どう?」
「HOTEL FIRST…」
そのビジネスホテルは、あの日――――――…。
何となく、ツォンの胸に嫌な記憶が浮かぶ。
嫌な、というより、どこか苦しいような、そんな記憶が。
「分かった」
しかしツォンは、その提案に取り敢えずは頷いた。
そこでレノが本当の事を話してくれるというなら、そうせざるを得ないだろう。ツォンの中に起こったモヤモヤとした何かがすっきりと晴れるように、そこに出向くしかない。
「じゃあ、明日。待ってるから絶対に来てくれよな」
レノは笑いもせずにそう強く言うと、すっと壁から背を離し、その場を後にした。
ツォンはそんなレノに声をかけることなく、ただただその背を見つめている。
パタン…
空しくドアが閉まった部屋の中で、ツォンはくるりと椅子を回転させて、先ほどの作業の続きをしようとノートパソコンを開いた。がしかし、電源をONする気になれない。
「……」
黒いままの液晶はモノを言わない。電源さえONにすれば色々なものが出てくるはずなのに、それをONにできない自分がいる。
黙ったままのノートパソコンはまるで人の心のようである。
もし手を伸ばしてONにすれば、様々な情報が溢れ出てくる。ずっと溜め込んできた気持ちも、完成されないまま途中で止まってしまっている事柄も、そういう全てが明らかになる。
けれど、ONにする勇気がなければ情報は引き出せずに気持ちすら分からない。だから表面はいつも何も見えずに黒いままである。
ONする勇気があれば―――――良いのに。
「……」
ツォンは徐に手を伸ばし、ノートパソコンの電源をONにした。
その瞬間にスリープモードになっていたOSが立ち上がり、先ほど途中だった文書が表示される。
残念ながら、黒い液晶を蹴破っても、出てくるものは色気のない業務報告文書だけだった。
ツォンの元を去ったレノは、早足に廊下を歩くと、突き当たりにある非常口のドアを開けた。そして、螺旋状に連なる非常階段の内の一段に腰をかけると、ため息を一つ吐く。
それは今まで耐えに耐えた末に出たもので、とても重い。
「…ほんっと俺、馬鹿」
レノはそう苦々しく呟くと同時に、胸のポケットから携帯電話を取り出した。そしてルーファウスのアドレスを呼び出すと、慣れた手つきでメールを作成する。
メール内容は至って簡単で、色気もなく1分も経たぬうちに作成し終わってしまう。世間話のような一言を付け加えることもなく、レノはそのメールを送信した。
ディスプレイに浮かぶ「送信完了」の文字が瞳に映し出される。
それを確認したレノは、携帯電話をポケットに戻すと、今度は煙草を取り出した。
ジュッ、と火を灯し、一口吸い込む。
漂ってきたのは甘ったるい匂い。
何となく……あの1022号室を思い出す。
「……」
暗い夜空に、煙はすうっと綺麗に伸びていった。