19:解決の法
目前のクラウドを否定できず、日々は過ぎていた。
ヴィンセントは心のどこかで彼を否定していたが、それでも表面的にそういった感情は出さなかった。もしそんなことをすればどうなるか、ヴィンセントには分かっていたからである。
あのときクラウドが口にした言葉が、心に突き刺さっている。
彼は言ったのだ。自分のことが好きだ、と。
そう言われて、否定を?
―――――できるだろうか、果たしてそんな事が。
いや、できないことは無い。
しかし、嫌いかと問われればそれも違う。
では、好きかと問われればどうだろうか?
そう考えたとき、ヴィンセントにはその答えが分からなかった。いや、というより、それに明確な答えを出してはいけない気がしたのだ。
世間一般の観念では、もう説明できない。男同士だからどうだとか、体から始まる関係はおかしいだとか、そういう問題ではない。
そういう事よりも―――――存在自体が問題なのである。
思えば、始まりはあまりにも陳腐だった気がする。
最初は仲間の一人として、優しさの範疇で気になっただけだった。しかしそれは、いつの間にか個人的な関係へと移行してしまった。
そして今は―――――確実に二人だけの問題になっていた。
”夜のクラウド”は徐々に顔を表す時間を増やし、段々と皆の中の“普通”を勝ち取り始めていた。
やがて戦闘時も他愛無い時間でさえ”彼が存在し続ける”ようになったが、誰も違和感は覚えておらず、全員がクラウドとして彼に接する。
彼は、笑った。まるで本当の仲間のように。
それを見て誰しもが、クラウドに元気が戻った、と喜んだ。
そういう光景を目の当たりにし続けたせいだろうか、ヴィンセントすら段々と疑問を持てなくなっていたものである。
勿論、あのクラウドは本物ではないとわかっている。しかし、皆が彼をクラウドと認めている以上、彼はクラウドにほかならない。
しかし、いま表出している彼を認めることで本当のクラウドを否定してしまうことは、ひどく心苦しかった。
ただ―――――笑顔のクラウドを見ていると思うのだ。
彼はヴィンセントに自分の想いを打ち明け、この場に適応しようとしている。それはおそらく彼の戦略だろう。
しかしそれは、ある意味ではひどく純粋で健気な行為に違いなかった。
彼の一番の想いがヴィンセントに向けられているとすれば、いま彼が仲間たちに見せている明るい表情も、もとはといえばヴィンセントの受け入れてもらうための努力なのだ。
そう考えると、ヴィンセントは心が痛むのととめられなかった。
けれど、時々思う。
少し前まで存在していた、あの暗く沈んだ表情のクラウドはどこへいってしまったのだろうか、と。
今はもう、本物だった彼の方が眠ってしまったのかもしれない。
籠の中で、膝を抱えて。
「ヴィンセント」
ふっと声をかけられて、ヴィンセントはごく自然に「ん?」と答える。
「今日も一緒の部屋で…良いか?」
「ああ。私は構わないが」
そう答えると、クラウドは満足そうに笑んだ。
部屋を割り振るのはクラウドの仕事の一つで、その割り振りは今の“クラウド”に変わってからずっと同じだった。
ヴィンセントは必ずクラウドと同じ部屋になる。そして、二人きりの部屋で二人きりの夜を過ごす。
本来ならそんな状況は許されないのだろうが、それはクラウドの望みだった。少なくとも今のクラウドは、それを望んでいた。
ヴィンセントはそれに反対もせずに従っていたが、あの日の夜、クラウドが自分に言った言葉への答えを口に出すことはなかった。
ただ、その身を抱きしめたことはきっと、クラウドの中では肯定の意としてとらえられているだろう。それはわかっている。
ただ、それを修正すべきなのか、それとも肯定したままのほうが良いのか、それが図り切れなかった。
クラウドは、同じ部屋の中にいるとき、とても嬉しそうだった。
その事実が、ヴィンセントの心を締め付ける。
シャワーを浴びて寝支度が整うと、クラウドは久し振りにグラスを二つ手にした。そして、既に横になっていたヴィンセントに近付き、すっとその顔を頬に寄せる。
「なあ、たまには飲もう」
そう誘われて、ヴィンセントは顔を上げる。
「…ああ、そうだな」
じゃあ開けてくれ、そんなふうに言って起き上がると、クラウドは早速というように用意し始めた。そうするクラウドはひどく嬉しそうに見える。
まあ、それも当然だろうか。
今のクラウドにしてみれば、この状況は初めて認められたのと同じ状況なのだ。
それはヴィンセントだけではない。仲間全てが今のクラウドを認めている。
例え彼らにそんな意識が無いとしても、クラウドにそういった感覚を持たせる状況が整っているのだ。
彼は今まで、クラウドという人間の心の奥に棲んでいた。
だから、誰からも”そういう認知”を得たことがないのだ。
彼がクラウドという人間の内側に棲みながら行っていたことは、誰とも知らない他人を誘って身体を重ね、クラウドと共有する身体を痛めつけること。
それはきっと、彼にとって足掻きのような行動だったのにちがいない。
夜のクラウドは、妖艶に人々をいざない、快楽を与えた。ベッドの上で絡んだ相手は、彼の虜になったことだろう。
しかしそれは、彼を認めたことにはならない。それとは意味合いが違うのだ。
そこにあるのはただの情欲。それは本質的には彼を満たさない。
でも今は―――――この状況は、事実、クラウドの心を満たすものだった。
朝も、昼も、夜も、自分自身でいられる世界。
常に自分が自分だと認識される世界。
「はい」
そう言ってグラスを渡され、ヴィンセントは「すまない」などと礼を言った。クラウドとは何度もこんなふうに飲んでいたが、今までに無いくらい穏やかな気がする。
丁度向かい側にある椅子に腰掛けたクラウドは、ヴィンセントを見遣りながらグラスに口をつけた。
その口元を見ながら、ヴィンセントもグラスに口をつける。
「もう、ずっとお前のままでいられそうか?」
ふとそんなふうに言葉を漏らすと、それを耳にしたクラウドは少し笑った。
「分からないけど…多分、大丈夫だ。ヴィンセントがいてくれるし」
「そうか」
相手に合わせて少し笑ってみせたヴィンセントは、そうしながらも悶々とした気持ちを抱えていた。
だって、ずっとこのままでいたら、やがて彼が“本物”になるのだ。
「クラウド。お前、この戦いが終わったらどうするつもりだ?」
「戦いが終わったら?」
「ああ…。まだ先は長いだろうが、お前がどうするのかには興味がある」
そうか、と言いながらクラウドはまた少し笑った。
それからヴィンセントの真横までやってくると、そこに腰を下ろしてこんなふうに言う。
「俺の希望くらい分かってるだろう?…今はまだ無理だけどな」
ヴィンセントはその言葉を耳にしながらグラスの底を見つめた。
彼の希望はやはり、自分と共にいることなのだろうか。いや、それしか考えられない。
しかし実際にそうするには壁がいくつもある。本質的にそれをしていいかどうか、という事の他にも、ティファの件などもあるのだ。
彼は、そういう全てを取り払ってでもそう願うと、そう言うのだろう。
きっと彼はそこまでを望むのだろう。
「お前…セフィロスのことはどう考えてるんだ?」
ヴィンセントの口からそんな言葉が漏れ、クラウドは少し驚いたような顔をした。しかしそれもすぐに収まると、
「それは今は話したくないな」
そんなふうに答えて笑う。
「今は一緒にいる時間を大切にしたいんだ。ヴィンセントも同じ気持ちでいてくれてるんだろう?」
「ああ…そう、だな」
こちらを見つめるクラウドの眼は、あまりにも純粋である。まるで、それだけが真実であるかのように見える。
そんなクラウドをチラリと見ながら、ヴィンセントは揺れ動く自分自身の感情に目を向けた。
―――――もしかしたら、自分の本心は気付かれているだろうか?
そう思いもしたが、どうやらそうではないらしい。
クラウドはただ笑みを称えて、グラスの中の液体を身体に流し込んでいる。
今しがた、クラウドはセフィロスの件について今は話したくないと言った。しかし、それは大いに問題がある回答である。
今この状況での「最終目的」は、あくまでセフィロス打倒である。それはクラウドの過去からしても、ないがしろにはできない重大な要件であるはずなのだ。
だってクラウドは、“セフィロス”と戦うことで自分への決着を付けようとしていたのだから。
つまり、今のままでは目的が違ってしまう。
何の解決にもならないまま戦いを迎える事になってしまうのだ。
それは、あきらかに違う。
そんな事を考えるうち、クラウドはふっとヴィンセントの隣を離れた。何だろうかと顔を上げると、どうやらグラスがあいたらしく、また新たな酒を注ぎに立ったようである。
その後姿を見ていると、ふとこんな言葉が響いた。
「もしかしてアイツのこと考えてる?言っておくけど…アイツだってもう、セフィロスのことは薄れかかってる」
「え…?」
少し考えてから、アイツ、というのが本来のクラウドを指しているのだと気づく。
しかし、本当のクラウドがセフィロスのことを考えていないわけがない。
「まさか、そんなはずはないだろう。セフィロスは長らくクラウドの…」
「違う。アイツが暗い表情だった理由を考えろよ、ヴィンセント」
「暗い表情だった理由…」
そう言われ、ふといつかの光景が頭をかすめた。
そう、いつだったか仲間のみんなで酒を飲んだ日、クラウドはティファに答えをだした。それは暗い表情ばかり見せる理由で、ティファはその理由にようやく納得したのだ。
その答えとは、セフィロスとの過去や戦いについて悩んでいる、ということだった。
しかし、あの答えは嘘だったのだ。それはクラウド自身がそう証明した事実である。
クラウドが暗い表情を見せていたのは、セフィロスのせいではない。そこには別の理由がある。しかしヴィンセントにはその本当の理由が長らくわからなかった。
しかし―――――
「アイツが暗かった理由と、俺がその理由と、俺が“本物”になりたい理由は一緒だ。…この意味、わかるか?」
「一緒…」
そう言われて、ヴィンセントはようやく合点がいった。
―――――ああ、そうだ。そうだったのか。
彼らは同一人物だった。人格は2つにわれていても、一人の人間だった。
”同じ”だったのだ、彼らの想いは。
「……クラウド」
ヴィンセントはその名を呼び、優しく笑いかけた。そして、穏やかにこう問う。
「以前、お前は私に言ったな。救って欲しいと。その答えはもう見えたか?」
「え?救われたかって事?」
「ああ」
少し考えた後、クラウドはこう答える。
「…今はまだ始まったばかりだ。でも、今は……何だか落ち着いてる」
「そうか。良かった」
クラウドは元のようにヴィンセントの隣に戻り、そこに腰を下ろした。
そんなクラウドに、ヴィンセントはすっと手を伸ばし、その身体を包み込む。
それは突然のことで、クラウドの眼を見開かせた。
―――――これが救いになるなら、それで良い。
いま、クラウドは条件をのんだ。全てではないとはいえ、真実の一部を明らかにした。
恐らくそれはヴィンセントのためではなく、クラウド自身のためだったろうが、それでも核心に触れることができた。
だから―――――もうこの空間には何も無いはずだ。
契約めいた約束も、条件も、何も、ない。
2人だけのこの空間を保持し続けてきたのは、クラウドのなかの真実をさぐるため。なぜクラウドの人格が2つに分かれ、夜のクラウドが生み出されたのか、その理由を知るため。
でもそれも、もう終わる。
「クラウド、私と約束をしよう」
「え?」
胸の中から響くクラウドの声を聞きながら、ヴィンセントは暗い部屋の中に視線をさ迷わせる。
鼓動はいつかのように早くは無い。落ち着いている証拠だろうと思う。
「これは条件も何も無い約束だ。お前と私だけの」
「何だよ?」
そう聞くクラウドの声は少し嬉しそうな気もする。それが、ヴィンセントには悲しかった。
何も無い約束だが、もしかしたらこの約束は、かつてクラウドが己に言い渡した言葉と同じように「裏を持つもの」かもしれないけれど―――――。
「…私がお前に想いを告げても、それを受け入れてくれ」
決意とともに放たれたヴィンセントの言葉が、部屋にこだまする。
クラウドは少ししてから、そっと笑ってこう返した。
「ああ」
その声はとても穏やかで、喜びに満ちている。
それはクラウドの望んでいることで、最終的にクラウドが“本物”になるために絶対的に必要なものだった。
ゆるやかに身体を離し、金の髪を掬いあげる。
そして、そっと口付けた。
耳元で、優しい声で囁く。
甘く。
「好きだ」
今、ヴィンセントには分かっていた。
クラウドを殺す方法と、救う方法の両方が。
だからそれは、ヴィンセントにとって全てへの最終的な決断だった。