Seventh bridge -すてられたものがたり-
意味深なメールが来た時点でおかしかった。
いや、その前からアイツはおかしかった。
突然俺たちの前から消えるといって、連絡なんかするなと言い捨てたくせに、自分から連絡を寄越してくる。そこからしてまずおかしかったんだろう。昔から意味不明な奴だったがここ最近は更に意味が分からなかった。まあ、アイツの性分なんだから仕方ないと思っていたが、存外仕方なくも無いと分かったのは最近になってからだった。
“喜べ相棒。俺は、解放された”
突然アイツからきたメール。
どういう意味かと聞いても返信がない。
また気紛れかと思ったが……さすがに今度はヤバイと分かった。
テレビのニュースはけたたましく同じものを騒ぎ立てる。もう何日もこんな状態だ。
『警察当局はプリズン脱走中の囚人の確保に全力を尽くしており…』
『脱走を促したとみられるプリズン管理局職員の行方も追っています。この職員は……』
――――悪夢だ。
そう思った。
何で、何が悲しくてそんなことをしたのか。
頭の中が一瞬にして混乱に陥る。
ブラウン管から流れるプリズン管理局職員の情報は全国に流れ渡り、今やソイツは指名手配犯だ。俺はそいつを知っている。赤い髪をした、折れそうに細い男。いつも不思議なことを口しては俺を混乱させる。でも芯だけは強くて、絶対に自分の意見を曲げなかった。酒が好きで、何かにつけては飲もうとする。あんまり飲みすぎると肝臓がやられるぞと言ってみても、それなら本望だと笑ってた。体を労わって心をセーブするくらいなら、心を労わって体なんてぶち壊せば良いんだ、と笑ってた。
かつて、いつも俺の隣にいた男。
俺の相棒。
――――レノ。
『同僚の証言によると、この職員は任意制のプリズン周期調査に自ら出向いたらしく、今回の脱走についても計画的であったことが懸念されています。また、この職員はかつて……』
俺は仕事の手を休め、他人の人生の汚点をいかにもらしく社会に広めようとするニュースキャスターの言葉に耳を傾けた。
キャスターは時折、怖いですね、厭な世の中になったものです、と作り物の苦面で感想を放つ。
俺は内心、同意した。
確かに怖い。
厭な世の中だ。
でも俺がそう思うのは、レノの奇行そのものにではなく、レノをそんな奇行に走らせた何かに対してだった。その何かに対して、キャスターは尤もらしく、気を付けて下さい、と言う。思わず口が笑った。気をつけるのは一体どっちなんだろうか。
「どうした、ルード?」
「あ…。ツォンさん」
ふと気付くと、そこにはツォンさんがいた。
相変わらずのスーツ姿で分厚い書類を手にしている。この人はあの頃と変わらない。
「…ああ、このニュースか」
「すみません」
「いや…」
ツォンさんは書類をデスクに置くと、引き出しに仕舞い込んでいたらしいタバコに手を伸ばした。薄い副流煙が雲を描きだし、俺はそれが今迄のものとは違うと気付いた。見ると、パッケージが見慣れないものに変化している。
あれは見たことがある。
市販のタバコの中でもタール値の高い、強いやつだ。
以前レノが試しにと買って、むせていたのを思い出す。ツォンさんはそれをむせもせずに肺に吸い込むと、精神安定剤を得たみたいに落ち着いた顔つきになった。
「馬鹿なことをしたもんだな」
「……」
レノがプリズン管理局勤務になったことを知っているのは、元タークスの中でも俺だけだ。レノは唐突に姿を消して、またある日唐突に連絡を寄越してきただけで、詳しいことを俺以外には話してないらしい。俺もわさわざそれを話す気にはなれなかったから、レノが今どこで何をしているかは誰も知らないはずだった。
ただ、ツォンさんは、俺とレノが未だに繋がっているということだけは知っていて、時折思い出したように戻ってこいと言っておいてくれ、と言ったりする。俺もそれには同感だったが、それでもレノは頑として戻らなかった。そして今、ブラウン管の中の人間になった。
「どうしてこんなことになったんだろうな。叱咤しようにも逃走中ではどうしようもない」
「……」
「連絡は?」
聞かれて、俺は首を横に降った。
電話をしてみたが、呼び出し音が続くだけで出る気配がない。出るつもりがないんだろう。
ただ、不思議なことにメールは来る。
それが唯一の連絡手段だ。
「ルード。お前は犯罪者になるなよ」
「どういう意味ですか」
俺がそう聞くと、ツォンさんは苦笑した。
「匿えば、お前も立派な犯罪者だ」
「ああ」
なるほど、そういう意味か。
ツォンさんは俺がそういう行動に出ると思ったんだろう。俺はアイツの相棒だから。
――――確かに、そうしたい気持ちが無いわけじゃない。
なんて馬鹿なことをしたんだと呆れる一方で、どんな馬鹿なことをしでかそうとそれがアイツなら庇いたいという気持ちがあった。
気持ちが分かるとか、そんなふうには思わない。でも、あいつの気持ちに間違いや嘘はないと知っていた。
「居場所が分からないんじゃ、匿いようもありません。……アイツは奇抜ですから」
「そうだな」
ツォンさんは頷いた。それから、また苦笑した。
「ミイラとりがミイラに…全く、笑えないな」
「違いますよ。あいつはミイラとりになることを拒否した」
「じゃあ、元ミイラとり、とでも言っておこうか」
笑えない冗談だった。ツォンさんもそれを承知でそう言ってる。
そうだ、あいつは俺達と共に歩む道を選ばなかった。元ミイラ取りのタークスが、警察機構という新たなミイラ取りになろうという段になって、アイツは唐突にいなくなった。本当に突然だった。
「ともかくこれだけは言っておく。もし…もし私が事情聴取されることになったら、その時は――――」
「その時は?」
「あいつを裏切ることになるだろう」
「……」
俺は口を噤んだ。
ツォンさんの言う意味が分かって、どうしようもない気分になる。
確かに、俺たちは事情を聞かれたら答える他にないだろう。黙秘することも出来るが、そんなことをすれば自分から問題を拡大しているに過ぎなくなってしまう。警察機構という圧力には勝てない。それに俺たちは…。
俺たちは今や、立派な“ミイラ取り”なんだ。
口を噤んで言葉が出せないままの俺の肩を、ツォンさんは無言でポン、と叩いた。それがやけに胸に響く。
かつてタークスだった頃、ツォンさんは良くそうやって俺とレノの肩を叩くことがあった。そういう時、大抵俺達二人は同じ行動をしていて、それにも関わらず失敗をしていたんだ。
“お前たちの命があるんだから、それだけでも良かったじゃ無いか”
ツォンさんはそう言って、良く俺たちの肩を叩いていたんだ。
それは、そういう時の癖だった。
「……」
どんなバカなことをしたとしても、レノは死んだわけじゃない。
俺はそう思いながら、タバコの煙の作る薄い雲を見つめていた。
神羅崩壊後、神羅が行ってきた事業の大半は、台頭してきた企業に継承された。
それぞれの事業を継承した企業はそれなりの利益を打ち出し、今では生活に不可欠な大企業へと発展している。但し、都合上どうしても連携が必要である部分までもが分散継承した為、そこには歪みも生じてしまったらしい。
治安維持部門の仕事を継承した企業は現在「警察機構」になっていて、企業であるのに公的な機関として捉えられている。だが実際は民間企業に過ぎない。だから当然利益云々という話になってくる。
悪さをした奴を捕まえれば歩合制の報酬があり、利益にがめつい奴らは躍起になって事件を探す。時には自作自演が起こったり、自ら事件を祭り上げる。要するに、治安維持をする奴ら自身が治安を乱してしまうわけだ。馬鹿らしい悪循環がそこにはある。
だが上は見て見ない振りだ。
誰かの為だと正義を振りかざして、結局は自らの利益しか考えていない。そんな奴らばかりだ。
昔、信念の為に動いた俺たちは何処に行ってしまうのか。
そんなことを考えると、案外と俺もフラストレーションが溜まっているんだと思い知らされる。つまりそうだ。俺は時代に取り残された人間なんだろう。そして恐らくアイツも、外見は馴染んでいても心は取り残されていたんじゃないかと思う。
そして、かつて世紀の発明品だったにも関わらず、今では誰もそれに感謝もせずに当然とすら思われているテレビが、時代に取り残された歪みをさも不憫そうに伝える。何処かの名も知らぬ学者だかなんだかが、我が物顔で語った。
「社会に適応する能力が欠けている人の…」
「これは現代社会の課題でもあり…」
隣にいる学者は、心のケアが必要だと言い、なるべく触れ合いを持つようにと訴える。
「セミナーも行っており…」
俺はテレビの画面から目を離した。
それでも入り込んでくる音声に苦笑する。
機械の音が絶えない世界だ。
嫌気がさす。
機械音声が社会問題を語る。
機械音声が心のケアが必要だと語る。
「……」
置き去りにされた人間が悪者になり、病気だなんて言われる。病気は治さなければならない。
治す意味は?
機械人間たちは、世界に歩幅を合わせることを治療だと訴えている。その方が生きやすいからそう言う。
世界は必ず正しさの基準になる。誰も疑問にも思わずに、受け売り言葉を脳に刻んでさもありなんと尤もらしく頷く。脳は枯れるばかりだ。
「兄さん、テレビ消すけど良いかな」
「ああ」
いつもの場所に行く気持ちになれず、ふらりと立ち寄った酒場。きれいな店が立ち並ぶ中で唯一古くさい店だ。俺にはこういうのが似合ってる。
そこで、俺はバーボンを揺らしていた。
「音楽に切り替えるからね」
店主はそう言って、古いカセットテープを引っ張り出す。
この、いかにも時代錯誤なところが良い。
暫くすると、巻き戻ったテープの中から何処かで聞いたことのある曲が流れてきた。
「懐かしいだろ。昔のヒット曲だよ」
「ああ」
そうか。
そうだ、これはいつだったかレノが言っていたジャズの……あの女性ボーカリストだ。
「……このボーカリスト。今はどうしているんだったか」
そういえばあの日のレノは、やけにそれに拘っていたな。
そんなことを思い出しながら俺がそう問うと、店主は、あの日のレノが随分考えて思いだした逸話をさらりと言ってのけた。
「隠居してるってさ。農家かなんかでさ。今じゃ話題にも上らないけどね」
「……悲しいな」
「まあね。でも仕方ない。選んだ道はそれなんだから」
なんだって歌手を辞めたのか。辞めなければまだ名前を聞くこともあったろうに。
「でもまあ、選ばされたって方が近いかもな。今もまだ同じ曲を歌っていたとして、今時は流行らないだろう。こういうのはさ」
要するに見えない圧力が選択をさせたのさ、と店主は言った。
なるほど、見えない圧力か。俺は静かに頷く。
「ウチみたいな店だって一緒さ。綺麗な店が並んでさ、こんなしみったれた店は流行らない」
「改装でもしてみれば良い」
店主は手を左右に振ると、厭だね、と言った。
「大切なもん詰まってるんだ、此処に。それ捨てるくらいなら、のたれ死んだ方がマシだよ。それにアンタさ」
「ん?」
「アンタだって、こんな店だから来てくれたんだろ?」
にやりと笑う店主の顔が目に映る。俺は、道理だと思って笑った。
店にはあの歌手の歌が流れてる。
“幸せはあの丘の向こう側にあるの”
“そこに辿り着く頃、私は大切な場所を失うでしょう”