Seventh bridge -すてられたものがたり-
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「お前には今日から監視つきの生活を送ってもらう。雑談も一切無用。良いな」
ツォンさんにそう言われて、俺の監視生活はスタートした。
一体、数時間前まで誰がこんなことを想像できただろう?
少なくとも俺は、こんな展開になるとは思いもしなかった。だってこんな馬鹿な話は無い。あのツォンさんが俺を見て、にこりともせずに、実に無表情に、命令を繰り出す。命令は命令でも、もうあの頃のような雰囲気ではなくて…。
たった数分だ。
たった数分で、ツォンさんがそんなふうに変わってしまったことが、俺には信じられなかった。もしかしたら悪い冗談じゃないかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
その最たる証拠が、翌日の人事異動だ。
何でわざわざこんな時期に人事異動なんてするのか。意味が分からない。だけど、その人事異動でツォンさんが昇進したことだけは確かだった。勿論、俺はその事実に耳を疑ったもんだ。何しろ俺とツォンさんは神羅からの移籍扱いで、それは昇進できないようなシステムになっていたから。
ところが、それが破られた。
その掟を破るために俺が差し出されたとしたら…有り得ないとも限らない路線だ。ただ、それが本当だとしたら俺は酷く悲しいと思う。俺と話す裏でツォンさんがそんなことを考えていたとしたら…。
俺の監視生活では、当然、俺を監視する警察機構の人間が必要だった。それに抜擢されたのは、当初からこの会社に勤めていたというベテランの男で、歳は大体同じくらいだろうと思われるやつだった。
中肉中背で特に特徴は無い。似顔絵を書かせても特徴が無いといったタイプの顔だ。監視には丁度良い。
彼は、俺が何を喋っても応答せず、当然、質問をしても回答は無かった。つまり彼は空気のような存在で、いざ俺が逃げ出そうとしたり何か危険なことをしでかそうとすれば、その時には対処をするというような役目だったのだ。
とはいえ、実際俺は危険思考を持っているわけじゃない。仮にそれが危険思考だとしても、それは単に警察機構の独断と偏見で物を見たときだけだろう。ただ、今この状況で一番問題なのは、警察機構が俺に下す“処分”がどのような内容になるかだった。
もし俺が犯人に仕立てられるのであれば―――――やはり、ある種の危険思考を抱かないわけにはいかない。
馬鹿な行動を起こすのも確かにどうかとは思う。しかしそれ以上に、こんな組織の言いなりになるのは馬鹿らしいと思った。だから、どうにかしてこの組織の本性をバラす方法はないものかと俺は考えあぐねる。本性さえ分かってしまえば、それに反発する動きも出てくるだろう。そうすれば人々は段々と警察機構への見方を変えてくるのではないか…俺はそんなことを考える。
でも、そんなふうに考えていたある日、ふと俺はあることに気づいた。
そう…この思考は正に、医療団体への反対をした組織と同じ思考じゃないか?
つまりそうだ、レノが逃がした、ヤン率いる市民団体と同じということだ。俺は今正に、そういった思考に陥っている。それは、レノと飲んでいた頃の俺の中には無かった思考だった。というよりもむしろ、そういうものに俺は直面していなかったんだろう。
レノが犯罪者の烙印を押されてから、俺はレノを理解したいと思ってきた。それは、レノとの付き合いが長く、レノは間違ったことはしないと信じていたからだ。でも、今ならもっと確信を持って同じことを言えるんだろうと思う。
レノが支持したその思考に自分も至ったことについて、それだけは少し嬉しいと思った。こんなどうしようもない状況であっても。
「今日はもう休む。また明日…」
「……」
監視生活は、警察機構の社宅のようなところで始まった。
俺は自宅に帰ることを許されず、常に監視の男に見張られている。寝るときもそれは変わりが無い。シャワーを浴びる時もそうだし、用を足す時にもそれは同様。一人の時間がないのだ。
でも、俺は見つけた。
俺が完璧に一人になれる時間を。
監視のやつが、用を足すとき、シャワーを浴びるとき、寝るとき。この3つだ。但し前者2つについては厳しい。時間が短すぎる。最後の就寝については、俺が眠ったことが完璧に確認されてからになる。これは一番余裕があるが、監視こそ本当に眠っているのかどうかを確かめなくてはならない。
どうにか一人になれる時間はないものか、俺はそれを考えていた。
勿論監視のやつもなかなか手を抜かないし、この状況はあまりにも気が滅入ってしまう。難しいことを考えようとすればするほど、この何も無い空間に気が狂いそうになる。
レノからの連絡はあるようだった。
が、携帯が見れない。
携帯が見つかっていないだけ奇跡だろう。
そんな状況になった俺にとって、ある日唐突に訪れた本部行きは夢のような時間だった。
毎日同じ部屋の中に監視されながら生活することは、もはや監獄以上のものだった。そうだな、これは監視というより監禁みたいなものだ。最低だ。
俺が本部から呼び出されたのは、勿論仕事の話じゃない。何せ俺はもう除籍されたらしいからな。
処分が決まったのだろうかと思ったがそれもどうやら違っていて、俺が呼び出された理由というのは、定期的な面会時間を警察機構が拵えたかららしかった。思えばこれはまるで囚人のような生活だった。定期的に話をし、定期的に体に異常がないかを点検する。舞台がプリズンじゃないだけで、本当に囚人だ。笑いすら起こらない。
その面会の日、俺はツォンさんと会った。
ツォンさんはタークス時代のような黒いスーツをびしっと決めていて、胸には警察機構の社章をつけていた。その社章は幹部だけがつけるようになっている。幹部入りを果たしたんだから当然だろう。俺はそれを見て厭な気分になる。だけど、心の底ではまだツォンさんを信じたい気持ちがあるんだか、そういうふうに思ってしまった自分にも厭になった。
真四角の部屋の中で、無表情のツォンさんが俺に言う。
「どうだ、ルード。少しは監視生活にも慣れたか?」
「…別に」
慣れるはずが無い、あんなもの。
俺のそんな受け答えに、ツォンさんはピクリとも表情を動かさない。まるで人形になったみたいな能面な表情だ。
「お前の処分はまだ決まっていない。昨日はまた事件が起こってな。今度はプリズン管理局の本部が爆破されるという事件があった。それによって警察機構は手一杯だ。お前には幸運だろう?」
「そんな…まさか、プリズンまで」
俺はツォンさんのその言葉に耳を疑った。監視生活の中ではテレビもラジオもない。つまり外界情報が完璧に遮断されているわけだ。どうやら俺の知らない間に、世間では大きな動きがあったらしい。
医療団体の次は、プリズン管理局―――これはつまり、例の医療制度制定の際に繋がっていた組織だ。となれば、プリズン管理局を襲ったのも恐らくは同じ組織…脱走したヤンの市民団体の連中だろう。復讐は続いているに違いない。
「今回の事件が起こったことで、我々警察機構は追随する事件が起こる可能性を考えている。お前が立役者となるのはその後という考えだ。この意味は分かっているな?」
「…そういうことですか、卑怯ですね」
最悪だ、俺はそう思った。
今後起こるだろう事件を待って、それが起きてから全てを纏めて、俺の犯行にしようというわけだ。そんな馬鹿なことがあるか?監視されて生活しているのに犯行に及べるはずが無い。でも、警察機構はそれをやろうとしてるんだ。
「警察機構は医療制度の反発テロを強制的に鎮圧したんでしょう?それを今度はなんですか。元々犯人を仕立てておいて、優秀な検挙だとでも公表するわけですか?それが市民の安全ですか?」
「口が達者だな」
「ツォンさん、本当にそれで良いんですか!こんなことで警察機構は…!」
感情に任せて少し声を荒げたときだった。
後ろに控えていた監視の男が俺のこめかみに銃口を突きつけてくる。そのひやっとした感触に俺は一瞬にしてゾッとし、思わず口を噤んだ。
目の前でツォンさんが笑う。
「自ら死に急ぐのか?脳が足りないな、ルード」
「…っ」
ツォンさんは監視のやつに何かジェスチャーをすると、冷たい目で俺を見やった。そして、手にしていたらしい書類に目を落とす。
ツォンさんのジェスチャーは、どうやら「部屋から出ろ」という命令だったらしく、監視の男が部屋を出て行く気配がした。バタン、とドアが閉まる。
俺は、ツォンさんを前にして棒のように突っ立っていた。
俺は背後を振り向くことはしなかったが、恐らく今この部屋には俺とツォンさんしかいないということを理解して、どうにかして此処を突破できる方法がないものかと考えていた。目の前のツォンさんは、きっと銃を持っている。いざとなれば俺を殺すだろう。
それから逃れる方法は―――。
「ところでルード、お前にもう一点聞きたいことがある。以前、ある酒場での写真を見せただろう?あれと同じく、お前の証言を取りたいものがある」
「証言?…そんなことをしても、俺を犯人に仕立てるつもりだろう?」
そう言うと、ツォンさんは無表情にこう切り替えした。
それはそうだが、事実犯人が捕まらないのは困る、と。つまり警察機構は、やはり俺を餌にしてレノを釣るつもりなんだ。ただ、レノがそれでも出てこなかった場合にはやはり捜査をすることになるし、それについては一応考えているんだろう。
でも、それならそれで最初からレノを探せば良いだけの話だ。何だか一貫性が無い。滅茶苦茶だ。そもそもあの事件だって…。
「ルード、これに見覚えは?」
「…?」
ツォンさんは俺の目の前に紙を差し出した。
それが何故か不自然なほどに俺の胸に近い。おかげで俺はぐっと顎をひいて、下を向くようにしてその紙を見なければならなかった。
――――が。
「!!」
奇跡だ。
そう思った。
その紙に書かれていたのは、ツォンさんが口にしたようなものではなく、ツォンさんからのメッセージに他ならなかった。
メッセージは、不思議な方法で書かれている。
ある画像が並んでいて、その画像を構成する全ての線が文字になっているんだ。つまり文字の羅列によって線ができ、一つの画像のように見える。文字は少し薄めにかかれていて、俺は目をしかめながらそれを読むことになった。
その表情も、丁度良い具合だったのかもしれない。
俺はその文字を全て読み、とにかくその内容を頭の中にインプットした。考える時間はたっぷりとある。何せ監視されていて時間だけは死ぬほど余っているんだからな。
俺は一通り読み終えて、それからツォンさんの方も向かずに、
「こんなのは知らない」
そう言った。
ツォンさんは紙を俺の前から取り払うと、そうか、と言いながらその紙を部屋の隅に置かれていたシュレッダーにかける。あの暗号のような紙は、木っ端微塵になって消えていく。
「お前なら分かると思っていたが残念だ。嘘を言っているようなら容赦はしないぞ。分かっているな?」
「言われるまでもない」
「もう良い。帰れ」
ツォンさんがそう言い放つと、ドアの外に待機していたのだか、うまい具合に監視の男が入ってきた。そして、俺の腕をギュッと掴んで手錠をかける。
「…」
俺は、やっとツォンさんの顔を見た。
ツォンさんは笑いもせず、やはり無表情だ。
俺はそんなツォンさんの顔から目を逸らすと、囚人の如くうな垂れて言われるがままに歩き出した。そう、あの監視の部屋に戻るために。
部屋を去る瞬間だった。
ある、感触が肩にやってくる。
「次回も面会をする。まあ、お前が生きていればだがな?」
そこには無表情のツォンさんがいて、ツォンさんの口はいかにも冷たい言葉を放ってた。けれど俺の肩にぽんっと置かれたツォンさんの手はそれを裏切っていたし、俺に真実を告げていたんだと思う。
――――ありがとう。
本当はそう言いたかったけど、言えなかった。
最後にツォンさんに笑いかけたかったけど、それすらもできなかった。
そしてそれは、俺とツォンさんの最後の会話になった。