Seventh bridge -すてられたものがたり-
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その日、俺はツォンさんに呼び出されてあるレストランの一室についていた。
個室式のレストランを選んだのには勿論訳がある。機密事項を話すからだ。
俺は良く知らなかったが、業界のトップ連中は良くこういった個室式のレストランを使うらしかった。
ツォンさんと離れて捜査を始めて一週間。
正直、俺の収穫は0に近い。レノに関する聞き込みはそれなりに毎日やっているが、それほど有益な情報は出てこなかった。それに俺の本心は、レノを追い詰めたいとは思わなくなっていた。そこも情報過小の原因だったんだろう。
俺がそんな状態だというのに、ツォンさんは確りと捜査を進めていた。さすがだな。俺は益々この昔ながらの上司に感心してしまった。
目の前に広がるのは、小難しい文章がびっしりと並んだ書類の束だ。
「洗えるところは全て洗ったつもりだ。起源はどうやら神羅崩壊直後にあるようだ」
「神羅崩壊直後?そんな昔に…」
「ああ、意外だった。私もそれほど深く考えていなかったんだが…どうやら嫌な図式が生まれていたらしい」
ツォンさんはそう言うと、その嫌な図式というのを俺に提示してくる。
真っ白な紙の上に書かれていたのは、神羅の事業を継承した民間会社の図式だ。
世界のほぼ全てを掌握していた神羅の崩壊を受けて、有力民間企業が分担してそれぞれの分野の事業を引き継いだ。それは俺も知ってる話だ。
その引継ぎの際、既に崩壊していた神羅は正式な書類を発行したわけでもなんでもない。ただ単に、その技術の受け渡しという作業をしたに過ぎない。だからそれは、ある意味では無償で完成された技術を提供したのと同じことだったんだ。
魔晄事業部分は、電気専門会社に。
兵器開発部門は、製鉄などの会社に。
都市開発部門は、設計や住宅などの会社に。
科学部門は、最新技術の研究団体と、病院などの医療団体に。
治安維持部門は、警察機構に。
大まかはこんなふうに細分化した。但し、突き詰めればもっと多くの民間企業が神羅の恩恵を受けて今に至っている。つまり技術の受け渡しがあったってことだ。
治安維持部門は、俺やツォンさんの働く警察機構が代表になってはいるが、かつてレノが働いていたプリズン管理局や、有志軍事組織などもその派生と言われている。つまり、警察機構とプリズン管理局は全く違う会社が経営しているものの、できれば協力体制を取るのが望ましいと思われているわけだ。警察機構が罪人を捕まえ、プリズン管理局に送る。仕事上のこういった連携があるんだから尚更だろう。
それは、警察機構とプリズン管理局に限ったことじゃない。
今まで神羅が一手に担って来たものを代表して継承するものならば、なるべく連携を取る…平たく言えば仲良くしなくちゃいけないというのが暗黙の了解だったんだ。
でも、現状そういうふうにはいってない。
上手くいかない。
誰だってそうだ、違う会社に勤める他人なのに、大義名分の上に身を犠牲にしようなんて奴はいないだろう。もう、あの頃とは違うんだ。神羅の頃とは。
「この前も言ったが、警察機構と医療団体のトップは繋がっていると噂されている。実際、不穏な献金疑惑が多くある。特にこの辺りが怪しい」
そう言うと、ツォンさんは書類の中のある部分を指した。
書類には年表が書かれていて、ツォンさんが示しているのはその中でも例の劣悪な制度が制定される数年前頃。
「医療団体に大金が寄付されている。どこからの寄付かを調べたところ、ある森林・鳥獣保護団体からの獣医医療発展名目でのものだった。しかしこの保護団体のマスターの中には警察機構の統括の男がいる。つまりこの男は保護団体をクッションにして医療団体への献金をしたと考えられる。以後、このような覆面献金が何回にも渡ってなされている」
「うちの組織統括が、個人資金を寄付したとは?」
そうは考えられないのだろうか。
ふと思いついたその論に、ツォンさんは静かに首を振った。
ツォンさんの調べたところによれば、保護団体への寄付は、個人名義ではなく警察機構名義で行われていたらしい。最悪だ。
「残念ながらこれが腐った現状だ。しかしこうなったのにも原因はある。それこそが医療団体の大幅経常赤字だ。初めての献金を受ける数年前から、医療団体は致命的な赤字に陥っていた。急激な患者の増加により、手が追いつかなくなったからだ」
「需要が供給を大幅に上回った?」
「そう。しかもその当時の医療費はそれほど高額でもなかった。そもそも神羅からの引継ぎ時に医療団体はぎりぎりの予算組みでスタートしている。市民に好意的というか、目論見が甘いというか…とにかく正義感であったことは確かだろうな」
ところが、そんな正義感ではやっていけなくなった。
現実的に、金がなければ治療は出来ない。
薬も出せなければ、医者への給料も払えない。
給料が払えなければ医者は団体を離れてしまうし、そうなればもっともっと手薄になって医者が窮迫する。正に悪循環だろう。
けれど、その悪循環を生み出したものは、もっと別のところにあったらしい。
「神羅から主事業を受け継いだのは電気会社だ。ところがそれまでの魔晄炉からの魔晄吸い上げというのが環境的に問題視され、違う形での電気供給というのが必要になった。つまりこの事業に関しては技術を受け取ったようでいて実際には半分ほどは意味がなくなってしまったわけだな。そしてもう一つ、兵器開発部門を受け継いだ各種製造会社。この2社は、今までの高度社会の維持と更なる発展を余儀なくされたプレッシャーの高い企業だった。この突然の事業拡大に、会社はまず人員を補填する。ところがこれらの人員は機械仕事には慣れていない人間ばかりだったそうだ。門戸が広がりすぎていたために基準が低くなっていた、ということは事実だろう。しかし会社にとっては、時間も無かった。驀進する機械社会の流れを止めるわけにはいかなかったんだな。会社は素人の彼らをプロに仕立てるべくスパルタ教育を始めた。ところが機械仕事に慣れないせいで、このスパルタ教育は多くの怪我人を出したらしい」
「怪我人…」
そこで医療団体が出てくるというわけか。
俺は心の中でそう結びつけて一つ頷いた。それを受けて、ツォンさんも一つ頷く。
「そこで、この電気会社と製造会社は、医療団体と専属契約を結ぶことにした。怪我人が多く出ると分かっているから、予め“宜しく頼むよ”と約束しておいたわけだな。その頃の医療団体はまだ窮迫しているわけでもないから、これを快くOKする。ところが…」
電気会社と製造会社は、更なる多忙を極めた。
しかしコストを抑えたいという理由から、直雇用の社員にではなく、下請け会社にこれをやらせようということを発想する。
下請け会社は、取引先であるこの大会社の顔色を伺って、言われた通りのスパルタ教育を施した。その結果は勿論同じだ。怪我人が沢山出る。ところがこの下請け会社は、大企業とは違って医療団体と専属契約を結ぶという発想を持っていなかった。というよりもまず、下請け会社にとって医療団体はかなりの大手企業に違いなかったんだ。
そうなれば当然、怪我人は自らの判断で医者に向かう。
その当時の下請け会社の数は多く、そこから一気に怪我人があふれ出すとなれば医療団体もパンクするに決まっていた。元々の町医者を含めたって、とてもじゃないが対処できないほどにそれは大規模だったらしい。
「一部ではこれを暗に医療パニックなんて呼んでいたらしいが…。ともかく医療団体としては、専属契約を結んでいる大手2社の患者を優先したい気持ちがあったんだな。何せ面子がある。出来れば下請けの患者は診たくないが、そんなことを堂々と発表するわけにもいかない。ここにも面子がある。どうにかできないか?それが医療団体の悩みだった」
この問題を解決するには、怪我人が少なくなればいい。
しかし仕事の都合上それは当然無理な話だろう。
下請け会社が雇う人間を少なくすれば多少は患者も減るだろうが、それをしてしまっては仕事効率が低下してしまう。効率が下がれば取引先との関係が悪化してしまう。下請け会社としてはそれは避けたいところだろう。
医療団体は考えたはずだ。
どうにかして患者が少なくならないだろうか?
全体量は少なくならないと分かっている。しかしせめて、そう…“診なければならない患者が少なくなる”ことは無いだろうか?、と。
即ちそれは、“下請け会社の患者を診なくても済む方法は無いか?”ということだった。
「あの劣悪な医療制度は、このような医療団体の悲痛な叫びを緩和するために制定されたものだったわけだ」
ツォンさんが渋面でそう結論する。
「つまり…法的に贔屓をした?」
「そうだな。法で定めてしまえば、それに逆らったものは法を犯したことになる。つまりそれは犯罪だ。非常に公的な意図で、裁くことが可能となる」
劣悪な医療制度と題されたそれは、ある一人の活動家の一言から始まった。
この活動家は、医療団体のトップと繋がりのある活動家だったらしい。彼の一言はたちまち医療団体の支持を受け、それは横繋がりの大手企業らの支持をも得るようになった。
“医者は管理制度下の者以外には保証をするな!”
彼の言及した“管理制度下の者”とは、つまるところ一定以上の所得者を指し示している。その境界線の詳細は分からないが、一定以上の所得を得ていなければ公的な保険に入れないために、その保険に加入しているかいないかが見極めのポイントになっているらしい。
つまり…そうだ、あの下請け会社の患者たちは、それに含まれていなかった。
逆に、大手企業の人間は安全牌。
これは医療団体にとって、正に望んでいたものをそっくりそのまま叶えてくれる法だった。勿論、所得の届かない患者にとっては納得できるはずもない法だ。不満が出るに決まってる。だってそうだろう、たかだかギルの問題で、命の保障はしないと言うんだから。
「当初、この制度には過半数以上が反対をしていた。まあ当然だろうな。不平不満の声を受けた医療団体は、言葉のあやを使ってこんなことを発言していた。“全くもって100%保障をしないとは言っていない。医療費の完全負担をするのであれば、もちろんそれ相応の保障をもってこれを対応する”―――どう思う?」
「俺には逃げにしか聞こえないな…」
俺が実直にそう感想を述べると、ツォンさんは少し笑った。どうやらツォンさんも同じ気持ちだったらしい。
ツォンさんが調べたところ、この医療費の完全負担をするには、相当の額が必要になるらしい。その当時大量に勃発していた怪我を完治させる場合、その額は実に給与三か月分を請求されたらしい。勿論これは、下請け会社の人間の給与を基準とした計算だ。
「仕方ないと割り切るのも癪な話だが…その当時、大手企業と下請け会社の社員の給与所得は三倍の差があったらしい。雇用先が違うというだけでこの差が生じる。無論、職務内容は全く同じだ。それぞれの会社で働く人間の能力値にはそれほど差は無い。つまりこの格差の境界の決定打はタイミングにあったんだな。少し遅れたばかりに下級層だと烙印を押されるというわけだ。これが現実に、さも当然のように行われた」
「悪夢だな…」
「ああ。…私はこの件について調べているうちにスラムのことを思い出した。思えばあれもそれと同様だったな。結局どれほど憤りを持ったとしても、私もお前もそれに該当しない温水に漬かった人間に違いない。過去も、今も…な」
「……」
俺は何も言えなかった。
確かにツォンさんの言うとおりだ。
どんなにこの悪夢のような現実を罵ったとしても、結局俺は何も出来ない。何もしないのであれば、どんなに悪を憎んでもそれはただの傍観でしかない。そんなものが誰かを救うだろうか?救えるはずが無い、誰一人として。
いや、そもそも救うというその発想自体が俺のような人間の傲慢なんだろう。
「少し脱線しても良いか?」
ツォンさんはそう言うと、かちっとタバコに火をつけた。
タバコの火がゆらゆらと揺らめいて、空気清浄機に反発するように天井へと登っていく。
「昔、ある小説に興味深いテーマが取り上げられていた。“人は人を裁けるか?”――神羅の頃、否応なしに強制的制裁を加える立場にあった自分にとって、これは重大なテーマな気がしていたものだ。最近これをふと思い出して、また考えるようになった。今や私は裁く立場にはないが、まあ警察機構も似通ったものではあるだろう。しかし厳密に言えば、私はこの仕事の真髄は救いにあると考えている。では―――“人は人を救えるか?”」
裁くことも、救うことも、同等の権利と義務を負う人間に出来るものなのかどうか。
ツォンさんはそれを真剣に、だけど少し疲れた目で語った。
俺には、同等という言葉が滑稽に感じられた。特にこんな話をしている最中だったから余計にそう感じたんだろう。
格差という決定的な現実がある以上、そこに同等は生まれない。もしそれでもそこにあり続けるなら、それは理想思考が生んだ理想的言葉なんだろう。
「これを考えた時、残念だが私も理想でしか救いを語ることはできないのだと気づいた。だが、それこそまだ救いだと思えるのは、裁くことよりも救うことのほうが何倍も難しいということだ。この件でも露呈されているように、人は簡単に非情になれる。元々そうでなくとも、環境と状況とがそれを簡単に形成してしまう。しかもそれは自己愛、自己弁護、自己都合…全て自分の為に相手を犠牲にした結果だ。それとは逆に、見返りを求めない博愛主義になることはとても難しい。簡単な堕落をするよりも尊いものを追求する方が何倍も素晴らしいだろう」
今日のツォンさんは随分と饒舌だ。
俺はそれを感じていた。
それに、ツォンさんのその言葉には、どこか懐かしい匂いを感じてもいた。
「昔の俺らみたいだ。格好良くて…我武者羅に空の下を走ってた」
気づいたときには、俺はそう呟いてた。目の前のツォンさんが少し驚いたように俺を見てくる。まあそうだろう、俺はこういうことを言うような人間じゃないからな。
「それはお前の言葉か?」
「…いえ」
「なるほど」
ツォンさんは真意を悟ったのか、ふっと笑った。すごく柔らかい笑みだった。
きっと気づいたんだろう、ツォンさんは。その言葉がレノのものだということに。
程なくして、ツォンさんはこんなことを言い出した。
それは、ずっと忘れていたような、あの頃の俺らのキーワード。
「信念をもってこれを遂行する。…この事の意味を、久しく忘れていたな。私達は、信ずるものの為に戦ってきた。仮にそれが巨大権力下で這いずり回るような行為であっても、結果至上主義の前には無力でしかない論だったとしても。…忘れていたな」
ツォンさんは遠くを見るような目をして呟いた。
いつから戦うことを辞めてしまったんだろう―――、と。
それは、俺も同じ気持ちだった。
多分、ミイラ取りの警察機構に留まることを選んだ俺とツォンさんは、いつの間にかこの流れの中に溶けてしまったんだろう。逆らう力も持っていたはずなのに、いつの間にかそのオールさえ捨ててしまっていた。努力することすら忘れていた。
多分…俺たちの中で、最初にその流れに逆らったのは、レノだったんだろう。
アイツは、最初からこの流れに逆らった。
流れから脱出して、自分のオールで漕ぎ出した。しかし新たな流れは、レノにとって巨大すぎる波だったに違いない。それでもレノは戦った。人工的な大波を正当化する奴らに向かって、オールを使い 切った。そしてそのオールは……折れた。
―――俺たちは、ばらばらに砕け散ったオールの断片を探している。