一本の煙草(3)【セフィクラ】

セフィクラ

 

 

一本の煙草。

それを箱から取り出したセフィロスは、口に咥えて火をつけた。シュッ、と音がして、息を吸い込むのと同時にパチパチと燃えていく。

それを見ながら、クラウドは疲れきった身体をソファの上で投げ出していた。

セフィロスがかけてくれた薄いシーツを身体にかけながら、ふう、と息をついて天井を仰ぐ。すぐ隣ではまだ裸のままで地べたに座り込んで煙草を吸っているセフィロスがいる。

もくもくと上がる煙が視界に入り、クラウドはようやく思い出した。そういえば今日はその煙草を買ったんだったっけ、と。

セフィロスは身体を重ねた後に決まってそうして煙草をふかしていて、それはとても美味しそうに見えた。

吸っても気持ちは分からないし、不味いし、実際は良くは分からなかったけれど、それでもそれは美味しそうに見えるのだ。

「…ねえ、美味しいの?」

ふっと視線を横にずらしてそう聞くと、セフィロスは振り返って、ん?、などという顔をした。

「俺は駄目なんでしょ、それ?」

確かセフィロスはそう言っていた。クラウドにはまだ早い、と。

今ではもうその苦味を知ってしまったけれど、敢えて知らないふりなんかをしてそう聞いてみる。

それは、二度目の質問だった。

「ああ、まだ駄目だな」

「ケチだね、セフィロス」

そう言ってまた視線を天井に戻すと、少ししてその視界にセフィロスの顔が現れた。びっくりして起き上がると、セフィロスは笑ってクラウドを見ている。

ちょっと驚かそうと思ってそんなことをしたのか、その顔は何だかいつものセフィロスとは違っているように見える。

「何だよ、もうっ!」

「まあまあ、怒るな」

そう言ってセフィロスはクラウドの隣に座り込むと、まだ熱の残っているソファにもたれかかった。それから、咥えていた煙草をふと指に挟むと、クラウドにこんなふうに言った。

「……吸ってみるか?」

「ええっ!?」

驚いて、つい声を上げてしまう。

さっきまでは駄目だとか言っていたのに、どうしてそんなことをいきなり言い出すのだろうか。気でも変わったのだろうか。

そんなクラウドの驚く顔を見ながら、セフィロスは無言でその煙草をクラウドに手渡した。それはまだ長くて、煙が出ていくのがとても綺麗に見える。

それを受け取ると、クラウドはゆっくりと口に合わせてみた。でも寸前で手を止めると、チラリ、とセフィロスを見遣る。

どういうつもりかは分からなかったけれど、セフィロスはクラウドの動作をじっと眺めていた。

「……やっぱ、良いや」

そう言ってクラウドは口まで運んだ煙草をセフィロスに返した。

「良いのか?」

視線をそのままにしてそう聞いてくるセフィロスに、もう一度だけ、うん、と頷く。それに対して、そうか、と納得して煙草を手に取ったセフィロスは、またそれを自分の口に咥え込んだ。

それは本当に手馴れた手つきで、クラウドは少し悔しい気分になった。

けれど、クラウドには分かっていた。

どうせ今それを吸ってみても、苦いだけなんだ。

セフィロスの好きな味や考えていることとか、そういうものが分かるような気がしていたけど、それはまだ吸ってみても苦いだけなんだ。

だから、ズボンのポケットにしまったままのあの煙草も、今日帰ったら捨ててしまおう。そう思っていた。

クラウドが色々と考え込んでいるうちに、セフィロスはその一本の煙草を吸い終えて、銀細工の灰皿にまた押し込んだ。また山が大きくなる。

それを目で追いながら、クラウドは呟く。

「俺さ…事前テスト、受けてみようかなあ…」

「ん、やっとその気になったか?」

意外そうでもなく、むしろ嬉しいかのようにセフィロスはそう答える。

セフィロスはきっとクラウドがソルジャー昇格する日を待っていてくれているのだろう。だったら、早くそうする方が良いに決まっている。

別に今のままの生活でも構わないと思っていたけれど、その時セフィロスが吸った一本の煙草は、クラウドにそんな決断をさせた。

その煙草の苦味がいつか分かるようになったら、その時はセフィロスの全てを知れるのかもしれない。

その煙草の苦味が分かるようになった頃には、自分も同じようにセフィロスの隣で堂々と吸ってやるのだ。

抱き合ったその後に、今セフィロスがしているように、上手そうな顔をして一本の煙草を吸ってやるのだ。

でも、そういうふうになる時には、自分もセフィロスと同じ任務を同じようにこなして、同じ苦味を味わっていたい。そうなれたらどんなに幸せだろう。

セフィロスと同じ苦味を味わいながら、美味そうな顔をする。

そういう時がきたら、その時はもう、それは苦味ではなくなってるんだろう。

まだ裸のままのセフィロスに、ふっとクラウドは抱きついた。

自分の身体にかかっていたシーツをゆるゆると取り除いて、それからその胸の中に顔を埋める。いきなりそんなことをしたせいか、セフィロスは少し不思議そうな顔をした。

「どうした?」

それでも優しくそう言うと、クラウドはその顔を見上げてこう言う。

「俺がソルジャーになったら、一緒に任務に行こうね」

「ああ、何だ。その話か。そうだな、一緒に行こう」

「それまで待っててくれるよね」

「ああ、気長に待っててやる」

「俺、セフィロスがいるから頑張れるんだよ」

「ああ、知ってる」

「ちゃんと覚えててね、その事」

「ああ、分かった」

そこまで言って、クラウドはまたセフィロスの胸に顔を埋めた。

いつか絶対にその苦味が分かる日がくる。そして、それを美味いと言って吸ってやるんだ。

勿論、その時は―――セフィロスと一緒に。

そう、思って目を閉じた。

部屋には、その煙草の匂いが充満していた。

 

 

 

 

灰がポトリと落ちたのにも気付かなくて、はっとした時には煙草もフィルタ部分だけが残っている状態だった。

何だか酷くクラクラする気がする、やはり久々に吸い込んだのがきいたのかもしれない。そんなふうに思いながらも、俺はその煙草の箱を見つめた。

その箱に、あの思い出の中の煙草のパッケージが重なる。それは綺麗な箱で、今はどこにもない。

俺はまだ、覚えてる。
あの時、抜け出して買った、あの煙草の苦さを。

あの時は不味くて、何で美味いと思うのか俺には理解できなかった。だからいつかそれが分かるようになれば良いと思っていた。

今の俺は難なくその煙を肺に送り込むことができるし、むせたりなんかもしない。あの時はなけなしの金で買った大切な一箱も、今では大した出費じゃなくなった。

特別美味いと感じるかは今でも分からない。それでも不味いと思うことはなくなったし、あの頃の俺とは全然違う。

だけど俺は、指に挟みこんで短くなった吸殻を見つめて、こうも思う。

俺が吸いたかったのは、この煙草じゃない。
分かりたかった味も、何を考えているかを知りたかったのも、この煙草じゃない。

いつか分かりたいと思っていた苦味は、この煙草には無くて、それは全く別物だった。

あの味を知りたかった。あの苦味を分かりたかった。

そして、それが分かる頃、俺はあの人の隣で一緒に一本の煙草を口にして、美味そうな顔をしてみたかった。

あの時「苦い」と思ったのは、その時の俺ではまだまだ苦いとしか思えなかったからだ。それでも今の俺はそれをとっくに分かっている。だけど、こんなふうに仲間から抜けて一人青空の下で吸いたかったわけじゃない。

あの煙草が、吸いたかったんだ。

あの人の隣で一緒に吸ってみたかったんだ。

そしてあの頃の俺は、そうなれる日は、きっとあの幸せな生活の中にあると、そう思っていたんだ。

「…製造中止なんだってさ、セフィロス」

俺はそう一人呟いて、立ち上がった。

それから短くなりすぎた吸殻を箱の中に無造作に押し込むと、その箱をズボンのポケットにねじ込んだ。

もう、あの煙草を吸う事は出来ない。

あの人を知ることもできないし、あの人があの時何を考えていたかを知る事もできない。

数奇な運命は、違う形でこうして俺にあの人の事を教えてくれたけれど、俺が知りたかったのはそんな事じゃなかった。

今はもう苦味は無いけれど、それは俺の夢が叶ったというのとはワケが違う。

俺はきっとどこかに幸せを忘れてきてしまったんだろう。きっと俺が欲しかった幸せはその苦味の中にしか無かったんだ。

今になってそれが分かる。苦味を捨てた俺だから、分かるのかもしれない。

……でも。

――――――あの苦味を、覚えてる。

今、目の前には青空しか広がっていなくて、俺は仲間と一緒に行動していて、それはもうあの頃とは全然違うけれど。

――――――それでも、覚えてるんだ。

今、目の前にはあの時の優しいあの人はいなくて、今の俺は二十一歳で、何も知らなかった時の十五歳の俺とは違うけれど。

それでも、俺は、覚えてる。

あの時の苦味、一本の煙草。

それが俺にとってどんなに大切だったものか、を。

 

あの時の俺が言ったように、俺はあの人がいるから頑張れるのかもしれない。だけどきっと、あの人は覚えてやしないだろう。そう言った俺のことも、それにくれた答えも。

 

俺は町に向かいながら、ズボンのポケットにねじ込んだ煙草のことを考えていた。たった一本吸っただけの煙草だったけれど、俺は思っていた。

 

―――今、心残りがあるわけじゃない。

 

街に戻ったら、これは捨ててしまおう。

 

 

END

 

 

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