06:契約と溝
クラウドと妙な契約を結んだヴィンセントは、その後クラウドがどう出るかと用心していたが、不思議な事にその夜は何も起こらなかった。
その代わり、クラウドはこんなことを言い出す。
「あんたは俺の相手をする。だけど、一緒に出かけないし、帰らない」
それは、仲間とともに宿泊している宿からは一緒には出かけない、一緒には帰らない、という意味だった。ヴィンセントとしては、それは“この関係を隠すため”の言葉だと解釈するほかない。
しかし、自信満面な表情を見せるクラウドが、そんなことを恐れるのは何だか似つかわしくないような気もしていた。
昼、いつものようにクラウドと視線がぶつかる。
彼からの視線はより一層弱々しさを増しており、何だかとても辛そうに見える。
その表情を目にしたヴィンセントは、あの契約を取りつけた夜を思い出し、そっと眉をひそめた。
昼に夜の事情は持ち込まない―――――それは分かっている。それは条件なのだから。
しかし、本当なら今こんなふうに弱々しい視線を送るクラウドに聞いてみたかった。
何故あんなふうに言ったのか?
何故そんなに違う顔を見せるのか?
しかし、それは「夜のクラウド」との約束の上では無理なことだった。
仮にその約束を破ったからといって、ヴィンセントに危険が及ぶわけでも何でも無いだろうが、一度約束したものを破るのはどうにも気持ちがよくない。
しかし、このような状況―――――つまりクラウドと秘密を共有する結果になってしまったのは、実際あまり良くないことだった。
今回のことは、そもそもティファから探りを入れて欲しいと頼られて始まったことなのだ。それなのに、今ではもうティファに何を話して良いかがわからない。
探るためだという理由をつけた所で、そんなものは言い訳にしか聞こえないだろう。
ヴィンセントはティファの視線をも感じていた。
彼女の視線は、なにかを訴えるかのようにヴィンセントの肌につきささる。
ティファからすれば、ヴィンセント自身もまた疑惑の対象の中になってしまったのだろう。なにしろヴィンセントは、言葉を濁すばかりで、今やクラウドと同じく夜に出歩くようになっていたのだから。
そのような状況のため、ヴィンセントは何となくティファを避けていた。
なるべく真実を聞かれないようにと―――――そう思って。
「ヴィンセント、ちょっと…良いか?」
クラウドに声をかけられたのは、もう夕暮れ時のことだった。
声の主はやはり少し暗そうな、そして怯えるような顔つきをしている。いつも通りといえばいつも通りだろうか。
「何だ?」
まさか―――――自分の方からあの話を持ち出すつもりじゃないだろうな?
そう思ったが、さすがにそれはなかったようである。
クラウドはおずおずとと並び立てた言葉はヴィンセントにとって予想外のもので、さらにはヴィンセントを嫌な気分にされるに十分なものだった。
「最近、何だか変じゃないか?」
「変?」
クラウドは頷くと、それがヴィンセントの行動を指していることを告げる。どうやらティファを避けている事について、なにかおかしいと感じているらしい。
それはすぐにヴィンセントにも伝わったが、正直そんなふうにいわれるのは心外だった。
というより、ヴィンセントの行動に疑問を呈すくらいなら、自分はどうなのだ、と思う。クラウドは自分の行動には無頓着なのだろうか。
「ティファが気にしてるみたいだから…」
「なるほど、そういう事か。それは悪かった」
「何か問題があるなら言ってくれ」
「問題?」
ヴィンセントはそう聞き返すと、少ししたあとに、じゃあ聞こう、と口にした。
そして。
「お前は私の行動がおかしいというが、お前はどうなんだ、クラウド?」
「え…何のこと?」
クラウドは顔をしかめて、首を傾げる。
特別とぼけているふうではない。がしかし、少し焦ったような表情には変化している。
「…いや、わからないなら良い」
ズバリ聞いてしまおうか―――――そんな気にもなったが、いかんせん約束がある。昼には、夜の事情を持ち込まない。その約束が。
だからヴィンセントは、それ以上を聞かないまま会話を断った。
くすぶったものを胸に渦巻かせながら。
夜は浸透していく。
まるで本当の感情を全て闇に埋めるかのように、浸透していく。
あの人は気付いているんだろうか。
まさか、そんなはずはない。
そうなったなら、どんなに楽だろう。
だけど、それで軽蔑されるなら―――――どんなに苦しいだろう。
そうなるくらいなら、押し殺して、何も無かったようにする方が何倍も良い。
傷つかない方が何倍も良い。
例えそうする事で、可能性の全てが失われるとしても。
夜は寂しい。
夜は怖い。
だから、やはり今日も早く寝てしまおう。
こんな感情に、自分が押しつぶされる前に―――――。
どうせ、何もできやしないのだから。
夜はまた、巡る。