この道の先に:30
そう思ったからザックスは、何の言葉を発して良いかも分からないその口に、ゆっくりとした笑みを作る。
もしこれが最後というなら…いや、“もし”という言葉もこの状況では確実と変わっているが、それであるなら笑っていなければ。
例え覚えてくれていなくても、
例え一生思い出してくれなくても、
それでも…その記憶の中に、笑顔を残したい。
「……」
ザックスがくっきりとした笑みを作ると、その次の瞬間に信じられない事が起こった。
それはザックスの眼を見開かせ、はっと息を飲ませる。
「……ザッ……ク、ス……」
途切れ途切れの声。
それでも確実な声。
それが耳を掠めた瞬間、ザックスは体の奥の方で何かがどっと溢れ出すような気がした。
もしかすると嘘かもしれない、それは空耳かもしれないし或いは幻想かもしれない。そう思ったが、今耳にしたそれを疑うことはしたくなかった。
今迄何度も苦しくなったり悲しくなったりした事、それでもそれを乗り越えて来た事、それらの事がそのたった一言だけで救われたようなそんな感覚…
あまりにも現実的な場面にいる自分にとってその感覚はとてもリアルで、それはもう幻想などではないと思う。
あのドラッグが見せた「幻想のクラウド」の言葉は、しっかりと頭に焼き付いている。
でも、今眼前のクラウドが放つこの途切れ途切れの言葉は、あまりにも拙くて、あまりにも生々しくて、それがザックスの胸に何かを込み上げさせた。
どんな一言でも良かったけれど、その言葉はあまりにも嬉しかった。
“ザックス”。
それは、自分の名前。
もうずっと聞けないと思っていた―――――その声で、その名を。
「クラウド…」
こんな状況であっても嬉しくて、ザックスは思わずクラウドの頬に手を伸ばした。あまりにも嬉しかったから、その表情には本当の笑みが浮かんでいる。
手を伸ばして、その頬にもう一度触れて、最後に――――……。
”クラウド、あり…”
パアアン…―――――――――!
瞬間。
ドロリ、何か熱いものが左胸から流れ落ちてくるのを感じた。
ドロリ、何かが唇の端を伝う。
瞳の中に映し出されたクラウドが、首を傾けながら口を半開きにしている。
「…う…うぅ」
耳に入り込んだ声ともとれぬ音が、クラウドの口から漏れたものなのか、己の口から漏れたものなのか、最早ザックスには分からなかった。
ガクン、と落ちた膝がバランスを崩す。
そこから体が横に倒れこむまでは酷く早く、そうした瞬間にポケットの中からころん、と何かが零れ落ちる。
そうなった後はもう意識が薄まっていた。
分からない…もう、何も分からない…
そう思ったが、視線の先にはクラウドの姿があり、その姿を見つめながらザックスは無意識に笑みを漏らした。
笑わなくては…、その気持ちが脳裏にこびりついていたからかもしれない。
何かを考えたわけでもなく自然と表れたその笑みは、口を半開きにしていたクラウドの瞳の中にもしっかりと映し出されている。
一瞬にして静まったその空間に、ザッザッザッという粗野な足音が響いてきたのはその直ぐ後の事だった。
ミッドガルを背景にした小高い丘。
そこに倒れた一つの姿と、蹲るもう一つの姿。
それらを発見した神羅兵は、血を流し倒れる男を囲むようにして立ち並ぶと、彼が既に事切れていることを確認した。
その判断をするまでの間、彼らは一つの体を執拗に検査しており、横たわる体の隣に零れていた数粒の何かを無造作に踏み潰していく。足蹴にされたそれは粉々に割れて、地面に溶けて行った。
…………もう死んでいるようだな…………
…………念の為、もう一度くらい…………
その言葉が響いた後、既に事切れているはずのその体に、グサリ、と剣が突きたてられる。ただでさえ血でドロドロだったその胸は、新たに出来上がった傷の為に更なる血の海を作り上げた。
ザッと剣が抜かれ、今度は男の足がその胸を蹴る。
それでもその体は、ピクリとも動かない。
…………よし、任務完了だ…………
…………神羅に戻るぞ…………
それらの会話を耳にしていたクラウドは、動かなかった。
ただ、呻きとも叫びとも取れぬ声を発し、呆然と一点を見詰めている。
その視線の先には、目を開いたまま事切れたザックスの姿があった。
…………司令官、こちらの男はどうしますか…………
…………様子はどうだ…………
…………それが、どうもオカシイようです…………
「あぁ…あ…うぁああ…ぁ」
…………ふん、こっちはもう駄目だな。放っておけ!…………
…………了解しました!…………
ザッザッザッと去っていく足音。
彼らはまるで風のように去っていった。
誰かが必死に辿り着いたこの場所を、まるでどうでも良い場所のように振り返ることもなく。
そしてその場には、誰かが必死に守ろうとした命だけが置き去りにされた。
「ああ、あぁ…あ…」
残された命は、言葉にならない声を上げて、ずるり、と地べたを這う。
腕を地面に擦りつけ、胸を地面に擦りつけ、肌が擦り切れるのもそのままにゆっくりとある一点へと向かっていく。
目的の一点に辿り着くまでは酷く長い時間がかかったが、それでもその体は向かうべき場所へとしっかりと到着する。その時にはもう既に腕の皮は擦り剥けており、そこからは血が滲んでいた。
そんな腕を伸ばした先にあったのは、一体の冷たくなった体である。
その体に這い上がるようにして重なると、血と土でぐちゃぐちゃになった腕をそっと伸ばす。そして、そろそろとその頬に触れる。
頬は、冷たい。
その頬に、ぽとり…―――――涙が落ちた。
――――――――光が見える。
点々とした光が、真っ暗な闇の中にそっと浮かんでいる。
ぽわりと浮かんだその光は、様々な笑顔を映し出していく。
そのどれもに、懐かしい顔が浮かんだ。
皺深い顔が、こう告げる。
“取り返しのつかないものなのだから後悔はしない”と。
余裕を携えた笑みが、こう告げる。
“精一杯生きることを賭ける”と。
グレーの景色から振り返る顔が、こう告げる。
“道は見つかったのか”と。
蒼い瞳が、こう告げる。
“これからもずっと一緒でいられる”と。
――――――――光が見える。
道が見つかったから…だから、
精一杯生きてきた。
それは今はもう無くて、取り返しなどつかないものだけれど、
後悔はしない。
だって…そう、
これからだってずっと一緒にいられるから。
“見えるでしょう?”
――――――ああ、見えるよ。
あまりに大きすぎて目が眩みそうな、そんな光が…今は見えるよ。
そこは、とても暖かい場所で、とても笑顔が溢れている。
その中で、今は微笑むことができる。
重い瞼のその奥にあるのは真っ暗な闇。
けれどそこにはこうこうと光るものが見え、それは永遠に絶えることがない。
いつまでもどこまでも続いていくその光に、今はただ一つ、笑顔を返そう。
大切な、大切すぎた光。
END