最大の任務:02
そう思った初めてのときは、まだ幸せの中にいて、問題も無い平和の中に自分はいたと思う。
神羅という巨大な組織に守られて、その中のちょっとした諍など笑い飛ばせるくらいに生活は順調で、だからその中で一つ過ちが起ころうとも問題にはならなかった。それでも平和の中にあったから。
クラウドはその頃から親友だった。
でも、一度だけ…それを破ったことがある。
それは今考えるとちょっとした過ちだったが、その時は大きな波紋を自分の心にもたらした出来事だった。
何故あの時、あんなことをしてしまったのか…それは多分ちょっとした敗北感だったのだろうと思う。今となってはその敗北感すら神羅の見せた幻影だと分かるけれど、あの時は神羅のベールの中にあって、幻影すら本物と信じていた。
“ザックス!セフィロスが今度食事でもどうか、って。凄いよ、奇跡だよ!”
ずっと側にいたクラウドがそう言って喜んだ時から、それは始まったのだったか。
“あれはなかなか面白い。興味が沸くな”
それとも側にいたクラウドを見て、セフィロスがそう零した時だったろうか。
分からない――――覚えてはいないが、とにかくそれはクラウドが自分から少しづつ旅立っていこうとするときに始まったのだろう。
単なる理解者でしかない自分と、憧れの対象であるセフィロスとでは随分と格差がある。それは勿論最初から知っていたが、それでも愛着という邪魔者と神羅の見せる強さの証であるソルジャーという地位の幻想は、ザックスを締め付けた。
だから、セフィロスに傾倒していくクラウドを、ただ一度だけ…強引に奪った。
確かその夜、クラウドは悔し涙を流していた。
“ザックス…どうして…酷い”
そうだ、酷い。
自分は酷いことをした。
そんな焦燥感や罪悪感に襲われたのは、その直後である。クラウドが涙を見せたその直後にそれはザックスを襲い、そして同時に自己嫌悪のようなものにも襲われた。
クラウドがもしそれをセフィロスに言ったら…その結果は目に見えていた。セフィロスは確実に自分を殺すだろう、間違いなく確実に。
ザックスでさえ憧れたセフィロスは、いつも凛として、どこか神羅に猜疑心を持ちながらも常に悪を良しとしなかった。
勿論その頃から神羅の噂は悪いものばかりだったし、事実が分からないとはいえ神羅が悪事を働いていることくらい知っていた。今となってはそれは確実な真実に変わったが。
とにかくそんな裏を持つ神羅にいつも疑いを持ちながらも、セフィロスは自身の正義は貫いてきたのだ。神羅内の秩序の悪さも嫌っていた。だから多分ザックスが行ったような事すら絶対に許さなかった。
けれど、咎めは何も無かったのである。
つまり…クラウドは何も誰にも言わなかったのだ。
それどころか、謙虚にもこんな言葉をザックスに投げかけた。
“ザックス…俺たち、親友だよね?親友でいてくれるよね?”
――――――ああ…何てことをしてしまったのだろう。
それを聞いた時に思ったのはそんなことだった。クラウドは自分がされた事の重ささえ、自分の過失であるかのように受け取ってしまったのである。
ザックスはクラウドがセフィロスに傾倒していくのを見ながら、親密になっていく二人の仲を色々と考えてみたが、実際の二人の間には何も無かった。単に食事にいったり、少し会話を楽しんだり、たったそれだけの関係だったのである。
一体何を想像していたのだろうか…そう、後悔した。
だからその後のザックスは、今までと同じように振舞っていた。後悔は残るが、それでもそれを引き摺らず、また新しくクラウドと親友であろうとし、セフィロスと良い友人であろうとしたのだ。
それが、たった一度の過ち。
もうとうに昔の話で、その後は一度としてそのような過失は起こしていない。セフィロスが好んでいたような、ある種の秩序を守ってきたのだ。まさかその後に、セフィロスがその秩序さえ犯し全てを崩し去ってしまうとは思わずに。
その過ちは、はっきり言えばセックスという行為だった。
だからルヴィにそういうふうに言われると、その過去が重なる気がしてしまう。目的は違っても示す行為そのものは同じだし、関係が全く無いかといえばそれは嘘になってしまうことになる。
もう―――――遠い昔の話のような気もするけれど。
そんな事を思い出し考えながら、ザックスはルヴィから受け取った54000ギルをポケットに捻じ込んだ。
こうして夜を楽しんでいるものの、金は大切な生活資金だ。
カードゲームですっかり摺られることもあるとはいえ、計算は常に頭の中にある。破産してしまうほどつぎ込んでいるわけではないし、クラウドの事を考えてそれなりの額のギルは信頼できる相手に預けてもいる。
一回の仕事につき結構な額を貰えるのは、勿論ザックスの肩にある経歴がモノをいうからだった。それは元ソルジャーという、今では消え去った肩書き。けれどそこで培ったものは消えてはいないし、むしろ今になってひどく役立っている。
瞳に宿った鈍い光は一生消えやしないだろうし、それは一生を預けたも同然のことだ。ならばそれを利用しない手はない。だからザックスは仕事の依頼を受けるとき必ずその経歴を話すようにしていた。
それが、結果的にクラウドを守る事に繋がると知っているから。
「ね~ザク。クラウドは何の仕事してんの?」
もう既に天国の中にいるルヴィがふとそんな事を聞いてきたので、ザックスはやっと思考の中から抜け出した。
それからその言葉に対してこう言う。
「アイツは訳あって働けないんだ」
「訳?訳って何よ。怪しい」
やけに食い下がるルヴィに、ザックスは溜息をついて、
「何でも良いだろ。働けないから俺が働くんだよ」
そう言い放った。それを聞いてルヴィは何故か感心したように声を漏らす。それははっきりいってかなり的を外していたが、ザックスは何も反論しなかった。
「って事はクラウド君はかなりザクに惚れられてるってコト。羨ましい~」
そんな事を言ってルヴィは一人、きゃあ、だとか騒いでいる。どうも勝手に妄想が突っ走っているらしいが、それにいちいち口を出していたらキリが無い。
しかしルヴィの方はその話題で頭がいっぱいらしく、更には何が何でも二人をくっ付けたいらしい。
「仕事できなくって、それでもって側にいるんでしょ。それじゃクラウド君の頭ん中はザクでいっぱいね」
何がどうしてどうなるからそういう理屈になるのかさっぱり分からないが、ルヴィはそう思っているらしく一人で頷いたりしている。
勿論ザックスはそれに同意などできない。
それが勝手なハイテンションからもたらされる言葉であることもそうだが、実際にクラウドの思考というのは途切れている。それを知っているザックスとしては、嘘でもそういうふうには思えなかった。
もしクラウドの心が覗けるなら自分が真っ先にそうしているだろうが、それは不可能なのだ。ましてやクラウドがザックスのことを考えているなど冗談でも言えるはずがない。
「それは無えよ。アイツはそんなことができる状況じゃない」
少し真面目にそう言ったザックスに、ルヴィは「どうして?」などとさも不思議そうに首を傾げる。
「アイツは…そういう思考って奴を奪われたんだ」
「え?」
「アイツは普通に歩いて普通に人を見るけどな、実際は危険な状態なんだ。頭の中じゃ自分のことすら整理できてない。勿論…俺のことも分かってない」
それは、あまりに唐突な告白だった。
まさか口にするとは思ってもみなかった内容を話していることに、ザックス自身も驚くしかない。
ルヴィを信用しているとかしていないとか、そんなことよりも以前に、打ち明ける気は無かった。静かに、ただそれだけだったのに…何故かつい、ザックスはその真実を打ち明けていた。
ルヴィがその話をどう捉えるかは賭けのようなものだったが、これは意外と良い方向に進んだ。
今までなら一度天国行き切符を手にしたらもうジエンド状態でしかなかったルヴィだが、その時はそこから返ってきたらしく、さも真面目な顔をしてこう言う。
「それ…本当?」
「冗談なんかでこんな話するかよ。マジな話だ」
「じゃあ…もしかしてクラウド――――病気か何か?」
ああ、そういえばそんな解釈もあった。確かに普通ならその状態をそう呼ぶのだろう。
病、だと。
しかし事実は違う。
「良い医者知ってるけど、助けが必要?」
「いや。病気とは違うんだ…多分あれは医者にも治せない。だから俺は不可能に近い解決法を欲しがってる。常にな。でもそれはハッキリ言って無理だ。無理だって分かってるけど、それでも俺は、探してる」
「そう…なるほど」
その場はさすがに少し重い雰囲気に包まれた。
ザックスが言うのはほぼ不可能に近い可能性であり、その方法といえば未知。いや、実際に可能性として浮かぶものが無いでもないが、それは手段としては不可能だった。
つまりこんな状況を作ったその人ならばどうにかできるかもしれないが、それは選べぬ手段ということである。
いつの間にか空いていたグラスを、指の先で弄っていたルヴィは、暫しの沈黙の後に突拍子もない言葉を吐いた。
「あのさ…クラウドと、寝たらどう?」
その言葉を耳にしてザックスは呆気に取られた。しかしその直ぐ後には怒りが込み上げる。
こんなにも真面目な話をしているというのにまたそんな話題を振るなんて、さすがにそれは許せなかったのだ。
そんなザックスの心情の変化を悟ったのか、ルヴィは軽く両手を挙げると困ったふうに笑う。
「怒らないで、ザク。これは結構マジなアドバイスなんだから」
そう言ってから手を下げたルヴィは、ザックスを見遣って真面目な顔で笑みを漏らした。
「ね、考えてみて。クラウドは多分、眠らなきゃ睡魔に襲われるし、食べなけりゃ空腹を感じるんでしょ。勿論…その、排泄なんかも。それって何か分かる?つまり本能ってわけ。でも目で物を見たり耳で何かを聞いたり喋ったりっていうのは後付された機能で、要は核じゃないわけでしょ。だってそんな事をしなくても、人って何とか生きていける。息して物を食べて、健康ってやつが損なわれなきゃ、生きれるってわけ。でしょ?」
「ああ」
ザックスは眉を顰めながらルヴィの言う言葉に何となく首を縦に振る。
「意識ってのは私も良く分からない。けど多分それって、息するのとは違う意味で重要ってだけで、今もクラウドは生きてる。つまりね、本能で生きてるんだと思ったの。だからザク。アンタがクラウドと寝たら、それって良い刺激になるんじゃないかって思う」
「刺激って…そういう次元の問題じゃないんだぜ」
呆れたふうにそう言ったザックスに、ルヴィはクスっと笑って、こう言った。それはたった一言だったが、何故か心に刻みつく言葉だった。
「――――セックスは、本能でやるもんよ」
散々ルヴィの天国での会話を聞かされたザックスは、やっと家路につくことができた。あの店から少しした場所に、家とはいえないものの、生活の拠点がある。
その道すがらザックスはルヴィのことを何となく考えていた。
何だかんだ言ってカードゲームの金は自分に返ってきたわけで、結局ルヴィは自分の懐から酒代を払うことになった。帰り際にさも楽しげに鼻歌など歌っていたところを見ると、どうも今夜はさぞ盛り上がる予定らしい。
ザックスにとってみれば、良くぞそこまで、といった具合だったが、ルヴィにとってはそれが生活の一部なのだから仕方無い。その為に自身のスタイルまで変えていったのだから当然といえば当然だが。
それはともかくとして、ルヴィの言葉が引っかかる。
一見卑猥そうにも取れるあの言葉が、何となく心を占拠するのは多分……それがルヴィなりに正当性を持って放たれた言葉だったからだろう。
そんな馬鹿な理屈――――そう思うのに、心のどこかでは何かの可能性を見たような気がする。
クラウドを抱くなんて、あの過去以来考えたことも無かった。勿論今もそんな事を考えているわけではない。けれど、それが本能というのは何故か衝撃だった。
確かにあらゆる種類の欲求というのは、本能である。
しかしだからといってクラウドがそれをもって回復するとは思えないし、全てが解決するとも思えない。
そう思っているのに―――――――…。
「…考えすぎだ」
一人首を振りながら、ザックスは思考を振り切る。
そうしてひたすら道を急いだ。何せクラウドが待っているのだ。楽しく過ごす時間は時間でしっかり持つのがスタイルだが、それが終わったなら終わったで、自分がこなすべきことに直ぐ戻るのは絶対である。
「そうだ…仕事、忘れないようにしないとな」
先ほど受けた依頼を忘れないように思い出しながら、ザックスは歩を進める。
そうして、家への距離は段々と縮まっていくのだった。