58:レノの離席
そんなことをつらつら考えながら適当に会話をしていたレノの前で、パティシエとドクターがふっと動きを変えた。
二人は純血種の耳元で何かを囁くと、小さく礼をし、ルーファウスとレノに対しても同じように会釈をし、そしてその場を去っていく。
その後姿を目で追っていたレノとルーファウスに向かって、純血種は苦笑気味にこんなことを口にした。
「恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね」
「?」
「彼らは高名であるが故に複数の専属契約を持っているのですよ。我が家以外の専属契約者が、このパーティにも多く参加されているようで」
「…ああ」
なるほど、そう思ってルーファウスは一つ頷く。
どうやらあのパティシエとドクターは、純血種の家庭だけでなく、他のVIPにとっても“お抱え”であるらしい。
このパーティへの参加自体は純血種の家系の者としての出席なのだろうが、同じ会場内にお抱え先がいるとなれば、そちらにも足を運ばざるを得ないということなのだろう。
VIPといえど複雑なものだ、ルーファウスは思わず苦笑する。何せこんな場面でさえプライドを保たねばならないのだから。
プライド―――――…それは自分にも覚えのある事だったけれど。
尤もルーファウスの場合は、プライドを保たねばならないのではなく、プライドで自分を保たねばならなかったのだ。似て非なるそれの違いは大きい。
「ああ、すみません。折角のパーティにこのような話をしてしまって。今日は楽しまなければいけませんよね」
いつの間にか沈み込むふうになってしまったルーファウスを思ってか、純血種はそんな事を口にする。そして、例の乗馬の話などを振りかけてきた。
結局ルーファウスは、その場で延々と純血種との会話を進めることになってしまったものである。会話の内容にはほとほと興味がないものの、取り敢えずは相槌を打たねばならない。
さして面白い話題でもないし、内心疲れる。しかし無碍にもできずに付き合うことになる。
会場の来賓者達はそれぞれに会話と食事を楽しんでいるようで、時折ちらりと別の方向に目をやってみるものの怪しい動きなどは見て取れない。
こうして退屈ながらも問題ない時間が過ぎていくと、本当に今日何かが起こるのだろうかという気分にさえなってくる。
―――――そういえば、ツォンはどこにいったのだろう…。
そんな事を思って視線をさ迷わせてみるものの、ツォンの姿はどこにも見えない。
と、そんな事を考えている時。
「ちょっと、すみません」
ふとそんな言葉が耳に入ってルーファウスははっとする。
見ると、それは脇に佇んでいたレノの発した言葉であったらしく、レノはその言葉通りに謝るふうに腰を折り曲げていた。
「あの、ちょっと席を外したいんですけど」
レノは純血種に向かってそう言うと、ルーファウスの方をちらりと見遣る。
その言葉の内容に幾分か驚いたルーファウスだったが、レノの口が声を発しないままに「ツォンさん」という言葉を象った時、その理由が判然として納得する。
どうやらレノはツォンを発見したらしい。
ツォンと真っ向対決しようとしているらしいレノの事、恐らくツォンの動きについて何かを考えているのだろう。何故退席までするのかは分らないが、恐らく考えあってのことだろうとルーファウスは了解する。
「すみません。俺が戻るまで、副社長と一緒にいてもらえますか?」
レノは純血種に向かって真面目にそう言うと、すぐ戻るつもりなんで、と付け加える。
「ええ、勿論です。まだまだ話し足りないくらいですからね」
何も知らぬ純血種はそんなふうに答え、上品そうな笑みを浮かべた。
その言葉の内容はどうにもルーファウスをげっそりとさせたが、レノがわざわざ純血種にそれを頼んだというのは、純血種をシロと断定しているからなのだろう。
つまり、純血種が飽くなき話題でルーファウスを繋ぎとめている間は“問題ない”と判断したということである。
レノはルーファウスに向かって意味のある頷きをすると、すぐに戻るから、と先ほどと同じ台詞を口にした。それに対して、ルーファウスも一つ頷く。
そうしてレノがその場を離れると、純血種はまたもや高尚趣味の会話を再開させたものである。話題はいつの間にか乗馬を離れ、狩猟や骨董、果てには絵画にまで及んでいく。
ルーファウスにとって絵などはまるで興味の無い分野だったが、そんな無意味な話題でもこれが続いている限りはレノの判断するところの安全が確保できる。そう思うとそれに耐えることも意味のあることに違いなかった。
…が、しかし。
「そういえば絵画の先生も今日のパーティにはご出席されているのですよ。私は先ほど挨拶をしたのですが、ルーファウスさんへの紹介がまだでしたね。確か向こうにいらっしゃったはずです」
純血種は唐突にそんなことを言い出すと、首を伸ばしながら遥か向こう側を見遣る。そして、次にはこんなことを口にした。
「ルーファウスさん、あちらに行ってみましょう」
「え?あ…いや、でも…」
まさか、この場から離れるなど自殺行為だろう。
そもそもレノが戻ってきた時に合流ができなくなってしまう。
そう思って焦ったルーファウスは、それは後にしようと提案をする。部下がもうすぐ戻ってくるし、そうなったときに場所が分らないのでは困るから、と正当な理由も付けて。
しかし、純血種は残酷なまでの無知とプライドでもって、大丈夫ですよ、などと口にした。ルーファウスが太鼓判を押すほどのソルジャーならばすぐに我々の姿を見つけ出せるはずですからと、そんな言葉まで続けて。
「我々もすぐにこの場所に戻れば問題はないでしょうし、善は急げと言いますからね。さあ、行きましょう」
「ちょっ…!」
ルーファウスの言葉を横にすっと歩を進めた純血種は、どこにいるのだか分らない絵画の先生とやらに向かっていく。
その後姿を目にしルーファウスは一瞬躊躇ったものだが、此処でもし純血種とも離れてしまったらば確実に一人きりになってしまうわけで、それは今日に於いて一番避けなければならないことだった。
レノと合流できなくなるかもしれない、それは不安である。
しかし純血種とも離れてしまったらば、それは更に不安である。
「…っ」
仕方ない、とにかく今はついていくしかない。
ルーファウスは目を細めながらも、談笑に勤しむVIP達の群れを縫って純血種の後に続いた。