23:約束の意
朝になり、何か騒々しいと思ったら、その原因はクラウドだった。
ヴィンセントが仲間たちと朝の挨拶を交わし、出かける準備もすべて整ったという頃になっても、クラウドは部屋から出て来なかったのだ。
「どうしたんだろう?」
不思議そうに首を傾げるティファに、寝坊じゃないか、などと笑いが起こる。けれどmそう笑っていられたのもほんの数分だった。
クラウドの意識は、ぷっつりと切れていたのだから。
結局その日は、ずっと眠ったままで起きる気配もないクラウドを心配して、その場に留まることになった。
しかし、クラウドの状況に関しては気が抜けない。
一体何があったのか?―――――誰しもが心配そうな顔を見せる。
最近は調子も良さそうだったし、特に問題があるような雰囲気ではなかった。それなのに何が原因なのか、と。
普通ならば疲れているのだろうとそんな言葉で終わるはずなのに、そう終われなかったのはやはりこの戦いの目的のせいだろうか。
とにかくクラウドが目を開けるまでの時間は、それぞれが何かしらを考える時間になった。
「何か悪い病気だったら、どうしよう?」
ティファはそんなふうに心配して、ずっとクラウドの側についている。
それをたまに覗き、大丈夫か、と声をかけながら、ヴィンセントも部屋で色々な思考を巡らせていた。
多分、こんなふうに意識が無くなったのは自分が原因だろうとは思うが、それでも目は覚まして貰わなければ困ると思う。そうでなければ、冷たくあしらい続けたことすら意味が無くなってしまう。
しかしそれより気になるのは、目を覚ました後のクラウドがどういう人間かという部分である。
それを見届けたいと思うが、部屋にはティファがいる。
つきっきりの彼女もやがて疲れるだろうから、それから見に行くでも良いのが、どうも気になって仕方がない。
「すまなかった…」
無意識にそんな言葉が口をつく。
それは絶対に伝えてはいけない言葉だったが、口に出さずにはいられないことでもあった。
きっと―――――辛かっただろう。
しかし彼は知らないはずである。この心も辛かっただなんて、きっと。
離れていた間、クラウドが一体何を考えていたかは分からないが、想像くらいはつく。
あの自信にみち溢れた顔にも、裏がある。
その裏で……もしかしたら泣いたろうか。それともやはり気丈に構え続けたろうか。
そんなことを思ったが、その答えはこの現実にあるじゃないかと考え直す。今クラウドが意識を失ったという事実は、それを如実に物語っている。
あのままの状態でクラウドが生き続けるならば、きっとこんなふうに意識が無くなるなどなかったのだろうから。
それくらい、”条件”を満たした心は、強かったのだから―――――。
目が覚めたみたい、という連絡を受けたのは、うとうととし始めた頃だった。
ずっとクラウドの側についていたらしいティファは、疲れた顔をして姿を現す。
クラウドが目覚めたことについて、仲間たちは口々に「良かった」と言って胸を撫で下ろしたが、ヴィンセントにとってはそこから先のことが肝心だった。
「ティファも疲れただろう。休んだ方が良い」
時刻はもう午後9時になっている。外も暗いし、結局はこのまま昨夜と同じように眠りにつくしかなさそうである。
しかし、そう告げてもティファは気丈に笑って「平気だから」などと言う。
これにはヴィンセントも困ってしまったが、幸いなことに他の仲間が止めてくれた。
「さすがに休め、お前も」
そう口々に言われ、ティファは不服そうな顔をしたものだが、結局はその言葉に従って自室に戻る。
けれどやはりどうもクラウドが気になるらしく、去り際にチラリ、とクラウドの部屋を見つめていた。
それが済んだ後、じゃあ明日こそ出発だな、と言い合ってそれぞれの部屋へと戻っていく。それを全て見届けた後、ヴィンセントはゆっくりとクラウドの部屋に足を向けたのだった。
部屋に入ると、クラウドはまだぼんやりした顔のまま天井を見上げていた。
その姿をそっと見遣りながらベット脇に近付くと、先ほどまでティファが座っていたらしい椅子に腰かける。
やっと視界にヴィンセントの姿が写ったのか、クラウドは僅かに口元に微笑をたたえたが、それはやはり無気力に見えた。
「大丈夫か」
そう声をかけると、クラウドはゆっくりと首を縦に振る。
何が大丈夫かなのかは良くは分かっていない。
「お前は意識を失っていたようだ」
「…ティファから聞いたよ」
「今の気分は?気持ち悪くは無いか?」
「ああ、大丈夫みたいだ」
そこまで言ってクラウドはベットから起き上がろうとしたが、ヴィンセントは素早くそれを阻止した。病気というわけではないが、今は休んでいた方が良い気がする。
「そのままで良い」
ヴィンセントがそう言って元のように毛布をかけてやると、クラウドは少し困ったような顔を向けた。
「俺、病人じゃないんだから」
「良いじゃないか」
これから大変なのだから、という理由までつけてそう言うと、まあ、などと言ってクラウドは納得する。
そうしてやっと、ヴィンセントは目前のクラウドについて考える事になった。
一見してクラウドは普通である。
しかし、今や「普通」というのがどちらなのか、それが良く分別できない状態だった。さらに、いつもと違うこの状況では態度から判断するのも難しい。
だから、試しにこんな言葉をかけてみる。
「…約束を覚えているか、クラウド」
それは、例の約束である。
“私がお前に想いを告げても…”
そう告げた、あの約束。
しかしクラウドは―――――瞬きながら、首を傾げただけだった。
「約束?なんの話だ?」
内容を尋ねてくるクラウドを見つめながら、ヴィンセントは「いや、良いんだ」と少し笑う。けれど、その瞳は笑ってはいなかった。
ハッキリしたのだ、これで。
今目前にいるクラウドは、”本当のクラウド”なのだ。何一つ知らずにいるクラウドに他ならないのである。
つまり、今回の意識不明状態を契機に、久し振りに”あのクラウド”は姿を消したということだ。
此処最近では、昼も夜もずっと自分を保てていたはずの”例のクラウド”は、とうとうそれを保てなくなったのである。いや、もしかすると故意にそうして隠れたのかもしれない。
何にしても、そうと分かればやるべき事は一つだった。
ヴィンセントはクラウドに手を伸ばすと、頬の辺りに手を添えて、柔らかく撫でたりする。上体を前のめりにしてクラウドの顔を覗き込むと、そっと顔だけを引き寄せた。
「え…?」
突然そんなことをされて、クラウドはひどく驚いた顔をする。
けれど、拒否はしなかった。
引き寄せられるままに顔をヴィンセントの頬に寄せ、そのまま黙り込む。鼓動は疑いようもなく、早い。
丁度クラウドの右耳辺りに唇を寄せると、ヴィンセントはそっと目を閉じ、その耳にこう囁いた。
「おかえり」
その言葉にクラウドが何か言葉を返すことはない。何故ならクラウドにはその言葉の意味が全く分かっていなかったのだから。
けれど、それでもこの状況はクラウドの心を満たしていた。
何も分からなくても、その胸にずっとあった想いが今、伝わったような気がしたから。
しかしクラウドから見えない場所で、ヴィンセントはわずか表情を歪ませていた。
迷うことなど何もないはずなのに―――――心が痛い。
そう思う。
でも、クラウドにとっては不可解でしかないその表情を、まさか曝け出すわけにはいかなかった。
だからクラウドからは見えないその場所で、そっと―――――心の整理をつけて。
「ヴィンセント…何だかいつもと違うよ」
鼓動が早いままのクラウドは、そんなふうに言ってヴィンセントの肩に手をかける。
しかしそれでも、ヴィンセントの体を引き剥がすことはしなかった。だって、寄り添ったその状態が無くなるのは惜しかったから。
とはいえ、クラウドのそんな恐れは全くの無駄だった。
なにしろヴィンセントはそれを解こうとは思わなかったし、まだ少しばかり辛くて顔を上げられる状況ではなかったからである。
暫くしてやっと顔を離したときには、ヴィンセントの顔には笑みが浮かんでいた。
うまく笑えたことに気づき、内心ヴィンセントは安心する。だって、悲しい顔などしてはいけないのだ。
ヴィンセントはクラウドを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「…お前はいつも私に視線を投げていたな」
本当はそれすら懐かしい話だったけれど。
「…あれを、どう取ったら良いんだ?」
本当はもうそんな事は知っているけれど。
「お前の口から聞かせてくれないか、クラウド」
それはいつかも聞いたことで、その時は確か答えをくれはしなかった。
それを知った上でもう一度同じ事を聞く。
今度は確実に答えが出ると、ヴィンセントは確信していた。
「それ…は…」
「原因はそこにあるんだろう?…お前が表情を暗くさせていた原因も、ティファに対する態度の原因も、全て」
「……」
クラウドは黙すると、そっとヴィンセントから視線を外した。
「それは…言えない」
まだそんなふうに言うクラウドに、ヴィンセントは何故か微笑む。あの時は怪訝な顔で接することしかできなかったのに、今ではそっと微笑みかけることもできる。
全て分かっているから、そうできるのかもしれない。
「…では私がそれを説明してみようか」
「え?」
驚いた顔のクラウドを見ながら、ヴィンセントは言葉を続けた。
「お前は誰かを見つめていて、それを打ち明けられなかったのだろう。その誰かは仲間の一人で、もし打ち明ければ全てが崩れてしまう。そう思うと苦しくて、表情も暗くなる。集中力も欠けてしまう」
「……」
「けれどお前はティファの気持ちも知っていた。でも相手はティファではない。だから、ティファには態度が冷たくなってしまう。―――――そうだったのだろう?」
言葉の羅列を聞きながら、クラウドは俯く。
まさかそんなふうに、自分の心を人に言い当てられるとは思いもしなかったが、それは反論する余地のない言葉だった。
悟られまいと隠し続けてきた心なだけに、それを言われたのはショックでもある。
「…その“誰か”が、分かった?」
暫くしてクラウドはそんなことを言い、やっと顔を上げた。その言葉はもう既に先ほどのヴィンセントの言葉を肯定していたが、クラウドはそれよりもそこを気にしていた。
実際はもう、気付かれているのだろうと思っていたが。
「ああ、知っている」
端的な言葉で返事が返り、それに対しクラウドがこう続ける。
「じゃあ俺は、その人を想っていても良いのか?」
視線が、交錯する。
答えを求める視線を受け止めたヴィンセントは、クラウドを抱き起こすと、そっとその身体を抱きしめ、腕に力を込めた。
「―――――ああ、勿論だ」
重要な部分を曖昧な言葉だけで表したこの会話は、それでもしっかりと成立し全てを解消していく。
本当に全てが、これで解消されてしまったのだ。
例えばその証拠はクラウドの表情にあった。クラウドはヴィンセントの答えに少し照れたような困ったような表情で微笑んでいる。
今までずっと隠してきて、絶対に告げてはいけないと思っていた想い。それが思わぬ所で叶ってしまったのだから、それは当然といえば当然の話だろう。
ヴィンセントがいつの間にか全てを知っていた事については疑問もあったが、嬉しさはそれに勝っていた。
もう苦しまなくて良いし、もう何も恐れなくて良い。
気持ちは伝わり、その人は自分の想いを受け止めてくれたのだ。
あまりにも遠まわしな気持ちの伝達ではあったが、良い結果が目の前にあり、それだけが欲したものだったからか、他に何も思うことはなかった。
たった一つだけ、欲しかったものが―――――今、此処にあるのだから。
「何て…言っていいか、分からないよ…」
喜びを表す言葉も見つからないままに、クラウドはそう呟いた。ヴィンセントはそれを聞きながら、そうだな、とだけ答える。
そして、最後の言葉を告げる。
「私はお前を見ている、クラウド―――――」
約束は、守らなければ。
“私がお前に想いを告げても、それを受け入れること”
条件なんて一切ない。だから、これくらい守れるな?
クラウド―――――。
“探ってみて欲しいの”
そう言ったティファ。
…………真実を知らずとも幸せならば。知らない方が良い事もある。
“夜の俺との契約だ”
“今度は俺を救ってくれよ”
そう言ったクラウド。
…………あれがお前の始まりだったのかもしれない。
…………私はお前を救うことはできただろうか。これが結果だとしても。
そして、それらを全て無に返す約束が、ヴィンセントの約束。
―――――誰かを殺し、誰かを生かす、方法。
誰もが寝静まった頃になって、そっと抱き合った。
もうずっと抱きしめてきた身体なのに、何だか妙な気分になる。目前のクラウドは、少し戸惑ったような顔をしながらも嬉しそうだった。
何だか恥ずかしいな、そんなことを言うクラウドが酷く悲しい。
ふと窓の外の夜を見てみる。
何となく…本当に何の気なしに聞いてみた。
「夜は好きか?」
そのヴィンセントの言葉にクラウドは、
「普通かな」
そう答えただけだった。
もしこのクラウドに、もう何度も抱き合ったという事を告げたら、どうなってしまうのだろうか。驚くのか、悲しむのか…それは分からないが、そもそもその考え自体がオカシイものだった。
そんなことはありえない。
何故ならクラウドの中でこれは、ヴィンセントとの初めてのセックスだったから。
誰も知りはしないのだ、そんな過去のことを。
それは今やヴィンセントだけが知っており、ヴィンセントだけが記憶として残せる事実だった。
耳を掠めるクラウドの声は、夜に溶けていく。
愛撫を重ねながら、何だか妙に視界が明るいなと思い、ふいに外を見ると―――…、
ああ。
月が、見てる。
“月が綺麗だな”
そう言った人はもう、どこにもいない。
もう二度とその月を見ることも叶わない。
そう思いながらもヴィンセントはクラウドに視線を戻し、そっと笑いかけた。