「ちっ…!」
セフィロスの舌打ちが聞こえる。
それから何が何だか分からない内にクラウドの身体は力強く引っ張られた。
「わっ!」
ぎゅっ…!
―――――何だ何だ何だ!?
そう思ったのも束の間、クラウドの身体はすっかり自由を失っていた。それというのも、身体全体が包まれているからだ。
何に包まれているかといえば、それはもう……。
「あっわわわ…ッ!!!」
「バカ!騒ぐな」
そう…クラウドはぴったりとセフィロスに抱きすくめられていたのである。
その状況を理解したクラウドはビックリし、更には真っ白になった。
一体何が起こっているのか、これは天変地異か、未知との遭遇か?
とにかく有り得ないはずの事態がクラウドを襲っているのは確かで、それはクラウドにとって最悪の事態であった。
ただでさえ緊張するというのに、これは何たる悲劇か―――――しかしセフィロスが黙れと言うのだから「離して下さい」とも何とも言えない。…故に、黙っているしかない。
そんな訳でクラウドは、ひたすら黙って、自分の鼓動を聞くハメになった。
ドクン…ドクン…確実にスピードの早い心音。
早く離して欲しい―――――そう思う中で、セフィロスの微かな息遣いが聞こえてくる。それを感じてクラウドは、思わずドキリとした。
不謹慎だけど、こんなことを思う。
あ、セフィロスもちゃんと息してるんだ―――――と。
そんなのは当然だったが、今迄あまりにも遠い存在だったから、そういうふうに身近に感じられることが初めてな気がしたのだ。
力―――――強いな、やっぱり。
そんな事までグルグルしてくる。
パニックした頭の中は、とうとう取り止めの無い事柄を次々と湧き上がらせ、肝心の事態の把握というものを遠ざけていた。
だからクラウドは、どうしてセフィロスがそんな事をしたのか、という一番肝心なトコロをすっかり考えなかった。
「おいっ!そこの!!」
ふっと、そんな怒鳴り声が聞こえてくる。そして、チカチカする光がコチラに向けられた。
何だろう、そう思って目を向けようとすると、
「見るな」
そう言われて頭をグッと押さえ込まれる。
だから顔はすっかりセフィロスの胸に埋もれる形になってしまい、クラウドの視界は遮断された。
そんな中で頼りになるのは耳だけ――――…そこに流れ込んできたのは。
『今日は警戒日だぞ。それを知ってて何をやってる!!』
『…悪い。どうしても今日は用があったものでな』
『用だと!?お前の私用で規律を破って良いとでもっ…』
『―――――…悪いか?』
そう聞こえた後、クラウドの頭上でスッと何かが揺れた。
それはどうやら髪の毛だった。
つまり―――――セフィロスが顔を動かしたという事だろう。
『…せっ!セフィロス…!?』
『コチラは反省しているのだが、許してはもらえぬと?』
『あっ!いや、そのっ!とんでもないッ……へへっ、そうですかい。いや、事情も知らずに申し訳無かった!……で、その向こうにいるのはウチの人間…じゃ、ないでしょうな?』
ウチの、というのはつまり、神羅の人間ということだ。
勿論この場合、クラウドは神羅の人間ということになるから、答えはYESだ。
けれどどうも会話の雰囲気からするに、神羅の人間だとヤバイ、という事のようである。
まさか、セフィロス―――――…。
『いや、違う。…悪いがコレは俺のプライベートだ。…問題になると困るのでな、顔は見せたくない』
『えッ!?プライ…ベートって、その…つまり…』
『―――――これ以上言わせるな。…俺の“大事な存在”だ』
―――――は…!??
『ははッ!!こりゃ失礼しました!!ではどうぞお気を付けてお帰り下さいッ!!』
『…ああ、悪いな。変な虫がつくと困る、俺は送っていく。異論は無いな?』
『ははッ!!』
そこまでで会話は途切れると、チカチカの光はすっと遠ざかっていった。
…きっとアレは警備兵だったのだろう。そして警備兵は去っていったのだった。
――――――ともかくコレで、クラウドは助かったということである。
「あ…あのっ」
「―――ああ、悪かった」
すっと温もりが離れ、クラウドはやっと自由の身となった。今の今迄、胸に顔を埋めていたからドキドキしていたものの実感が無かったが、改めてその顔を見て「本物だ」なんて再確認する。
セフィロスが庇ってくれたのだ。
そのために、あんなふうにしたのだ。
クラウドはようやく納得できたものの、どうして良いか分からなくなった。
庇ってくれたのだからまず最初に言う言葉は「ありがとう」に決まっているのに、何故かその言葉がつっかえて出てこない。
その上、セフィロスの顔から視線を離せないでいたから、いかにも“見つめている”状態だった。
セフィロスは、自分を見つめながらも何も言わないクラウドのことを、やはりじっと見ていた。
しかし暫くすると、ああ、などと急に何かに納得し始め、更にはこんなふうに言い出す。
「悪かった。気分を害したなら謝ろう。大事な存在などと…勝手なことを口にしてしまったな」
「えっ」
「すまなかったな」
何を思ったのかそう謝ったりするセフィロスに、クラウドはもどかしい気持ちでいっぱいになった。
何を謝るというんだろうか。
庇って、助けてくれたのに。
口実まで作ってくれたのに。
「あのッ…」
「嫌だろうが、もう少しついていく。それまで辛抱しろ」
「……」
そう言ったきり、セフィロスはすっと歩き出してしまった。それはクラウドより先を行く状態で、今更話をぶり返せない雰囲気である。
仕方無くクラウドは口を閉ざしてセフィロスの後ろをトボトボついていったが、しかし心の中には言いたい言葉が溢れ返っていた。
ありがとうと言いたい。
ごめんなさいと言いたい。
嬉しかったと言いたい。
そう―――――そう言いたいのに、何でうまく口にできないのだろうか。どうしてザックスといる時みたくリラックスできないのだろうか。
確かに先ほどまで、セフィロスになんてついてきて欲しくないと、自分一人で帰りたいと思っていた。
それは事実だけど、こうして助けてもらって凄く安心したし、こうなってしまうと以前までの思いに対して後悔せざるをえない。
セフィロスは警備がいるという事を分かっていたから無理矢理にでも付いてきてくれたのである。
クラウド一人では乗り切れないと分かっていたからこそ、此処まで送ってくれるのだ。
そういう優しさなんて最初は分からなかったし、やっぱり今でも緊張するけど…でもそれは感謝すべきことだろう。同時に、セフィロスの優しさというものを認めるべきところである。
クラウドが、セフィロスについて来て欲しく無いと思っていたとき――――セフィロスはきっと、警備が来たら助けなければと考えていたはずだから。
「……」
何て独りよがりなことを考えていたのだろう。
そう思ってクラウドは恥ずかしくなった。
あんな嘘まで吐いて―――――…。
“嘘”。
「……」
確かセフィロスは“大事な存在”という嘘を吐いていた。セフィロスは謝ってきたが、セフィロス自身は嫌じゃなかったのだろうか。
例え嘘であっても、一時的であっても、クラウドを前にしてそんなふうに言ったことを―――――。
悶々する。
悶々する…。
クラウドがそんなことを考えているうち、どうやら歩は随分と進んでいるらしかった。
歩く道が段々と慣れたものになっていく。いつも歩いている一般棟、つまり兵舎に入ったということだろう、きっと。
ふっと顔を上げてみると――――確かにソコは、兵舎だった。
「……」
もうすぐ入口だから、そうしたらこの緊張の時間ともサヨナラできる。もう悶々としなくて良いのだ。それはハッキリ言って、ザックスの部屋を後にした瞬間からずっと望んでいたことだった。
なのに…何故か今、クラウドはそういう気分ではなかった。
だって―――――だってもうすぐ、セフィロスとは、別れることになる。
嬉しいはずのことが、今の状況ではとても、辛かった。
まだ言いたい言葉の一つも言ってないのに…そんなの駄目だろうと、そう思うと。
「―――――着いたな」
暫くして立ち止まったセフィロスは、くるりとクラウドを振り返ってそう言った。クラウドは慌てて笑顔を作ると、そうですね、なんて答える。
「では、俺はこれで」
「えッ!」
着いたかと思ったら、もう身体を翻してセフィロスは元来た道を帰ろうとした。その素早い動きについていけなくて、クラウドは思い切り焦って、
「わわわわ!!!」
と訳の分からない声を張り上げる。
セフィロスがハテナマークを浮かべたのは言うまでもない。
「?…何だ?」
「いや、えっと…」
―――――言わなくちゃ…!
ちゃんと、言わなくちゃ。
せめて、言いたい言葉の一部分だけでも良いから。
「あ……あ、…ありがとうございました」
勇気を振り絞り、緊張を克服し、クラウドは精一杯の言葉を、そんなふうに表現した。
本当は「ごめんなさい」「嬉しかったです」も言いたかったけれど、そこまで頭は回らない。
けれど、それでも、たった一言でも言えたそのことが、クラウドにとっては嬉しかった。
「――――ああ、気にするな」
セフィロスはそう言うと、思い出したようにこんなことを言い始める。
それは、今日何故あんなことをしたのかという、その理由でもあった。
「お前は知らないと言ったが、覚えておくと良い。毎月この日は厳戒態勢が敷かれている――――現金輸送が行われるからだ。たまに賊な輩が妙な行動を起こすことがあってな、それで各棟の警護が厳しくなる。それに今日は特に――――…」
「…今日は特に…?」
「――――いや、良い。それだけだ。注意することだな」
「あ…はいっ…」
クラウドはそう答えると、セフィロスをじっと見遣った。
けれどセフィロスはもうクルリと踵を返していて、今度こそ本当に帰るという感じである。
用事も済んだのだからソレは当然といえば当然の話なのだろうが。
が。
―――――しかし、とてつもなく奇跡的な事が、起こる。
「…えっ…」
背を向けていたはずのセフィロスが、ふっと振り返り、それから…どういう訳だか、クラウドの方に戻ってきたのだ。
ビックリする。
今度は一体何を言うつもりなのだろうか。
セフィロスにとってはもう帰る以外に意味など無いだろうに。
そう思ったけれど――――――…。
「あっ」
そう考えた瞬間。
じわりと、暖かくなる。
それは、さっきも感じたあの感覚。
そう、つまりそれは…セフィロスの胸の温かさである。
―――――嘘だ、何で…?
だって、もう警護はいない。
ここは安全なのに。
そんなことをする理由などどこにも無いのに。
「―――――…少し、黙っていろ」
「あ…」
セフィロスに、抱きしめられている。
それが分かって、クラウドは言われるまでもなく声が出なかった。
もはや口実のいらないこの場でセフィロスがどうしてこんなことをしてきたのか、それは良く分からない。
それでも分かっているのは、自分はそうされても“嫌じゃない”ということだった。
むしろ―――――嬉しいとさえ、思っているのかもしれない。
相変わらず緊張で心臓は加速気味だけれど、何だか全然、嫌じゃないと思うのだ。
「……今日のことは、アイツには言うな」
「え…ザックスのこと?」
黙っていろと言ったくせにそんなふうに言うものだから、ついクラウドはそう聞いてしまう。
するとセフィロスは、「そうだ」とただ肯定の言葉を発した。
「何で…ですか?」
「何ででもだ」
「……」
どうやら答えは貰えないらしい。
ただセフィロスは黙ってクラウドの身体をきつく抱きしめるだけで、それだけがこの場にある“真実”だった。
セフィロスが何を思ってそうするのか――――本当は一番それが気がかりだったが、クラウドは敢えてそれを聞かなかった。どうせ答えは貰えないだろうと思うし、それに…。
がっかりなんて、したくない―――――そう思ったから。
二人は暫くそうして黙ったままだった。
外の冷たい空気を遮断するように、セフィロスがいる。
じわりと胸のところから伝わる熱は、心の中まで浸透してクラウドを満たしていく。
その満たされたものの名前さえも知らず、その時間はゆっくりと流れていった。
それは、とても暖かい。
ただ、暖かかった。