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謝罪の言葉:ツォン×ルーファウス
「貴方は謝罪の言葉一つ言えないのですか」
それは、やけに冷静な声だった。それでも辛辣に突き刺さる。
「必要性は感じないな」
謝罪など必要ない。
今しがた温かい珈琲を運んできた女性社員。どうぞ社長、などと言いながら愛想の良い笑顔を浮かべていた。何だかそれが酷く許せなくて、無性に腹が立って、ついその珈琲を勢い良く払った。
彼女は珈琲を浴びて火傷を、した。
叫んだ彼女を見ながらも、自分はやけに冷静だったと、そう思う。
それを見ても何も感じなかった。
ただ、自分を悲しそうな目で見たその彼女が、更に許せなくなっただけで。
たった、それだけの事。
「そうですか」
床に散らばったままだったカップを丁寧に拾い上げて、それを片付ける男の姿を見ながら、ルーファウスはふっと背を向けた。
たった、それだけの事だ。
数日経った後、ルーファウスはおもむろに医務に足を向けた。
時刻は昼の休み。
特に食欲も無い、そんなふうに思って食事もとらないまま、その場所に向かう。その途中に頭にあったのは、例の彼女の事だった。
彼女はその後、医務で治療を受けていると聞いていて、それはまだ続いているらしい。別段、謝罪をするつもりではなかったが、それでも何となく気になった。
彼女はその火傷の理由を何も口にしなかったらしく、ルーファウスが医務にその彼女のことを聞きにいった時もそういった話はされなかった。
何で隠したりするんだ、言えば良いのに。
社長が火傷を負わせたと、そうはっきり言えば良い。
別にそれで彼女を解雇処分などにするつもりはないし、だからといって自分が困ることは一切ない。
しかし一番馬鹿らしいのは、こうして今、足を向けている自分だろうと、ルーファウスはそう思っていた。
医務に着き、その扉を開くと、ルーファウスが得た情報通り彼女は治療を受けるためにそこに座っていた。
目を凝らすが、医者の存在は無い。
それでも彼女は、そこに座っていた。
ルーファウスは部屋に入り込んでからそのドアを閉めると、そこに座っていた彼女を見遣った。相手もそれに気付いたのか、何やら慌てて椅子から立ち上がる。
医務の中には簡易ベットが。本格的な医療用設備はまた別個にビルが建てられており、そこには数分で着く。医者は大体そのビルからこの神羅の医務室に交代でやってきて、怪我人などが出るとそこで処置をしていた。病気になればまた話は別で、今度はそのビルの方に運ばれる。
そんな具合だから、この場に医者が不在ということも、実のところ少なくはなかった。
きっとまた戻っているのだろう。
そう思いながらも彼女に近付くと、ルーファウスは自分よりか背の低い華奢なその身体をじっと見つめた。歳若く立ち居振る舞いが綺麗なルーファウスの行動であるから、それは妙な嫌らしさは伴ってはいなかったが、それでも彼女はその視線に身体を強張らせた。
ルーファウスの性格は、一部の人間には脅威だった。
プレジデント時代から比べればルーファウスの指揮は、財務面では優秀である。無駄な出納は排除し、必要最低限のものにしか目を向けない。
その代わりといっては何だが、人の心を掴む事に対しては酷く不器用だった。というよりかまず、そういう甘さが無い。
そういうものを必要と捉える気持ちが無いので、とにかく殺伐としている。
プレジデント時代の甘い汁を啜ってきた一部の幹部が、そういう意味で毒を吐いていた事には気付いていたが、そうする意味すら彼には良く理解できなかった。
彼女はそういうルーファウスに対してさして恐れは抱いていなかったが、火傷をしたその日を契機にそれは変化していた。周囲が恐れを抱くその理由が、彼女にも分かったのである。
だから、ルーファウスの言葉に彼女は正直、驚いた。
「まだ痛むのか?」
彼女の腕を見て、そんなふうに言う。言葉は心配を表していたが、やはり表情に優しさは無い。
「いえ…もう、大丈夫です」
少し笑いながら彼女はそう答える。それでも少し目は怯えているふうだった。
何せ仕切られた空間にルーファウスと二人きりなのだ。彼は社長という地位の人間だから、そうそう一社員に拘るはずもない。それは分かっているから別段恐れることは無いはずなのに、それでもその状況はそういう意味からすれば“異常”でしかなくて、何かがしっくりとこない。
「見せてみろ」
ふとそんな事を言い出したルーファウスは、包帯が巻かれた彼女の腕を取ろうとした。しかし、それは直前でかわされる。
何だ、と眉を顰めて顔を上げると、そこには、笑ったような驚いたような微妙な顔つきをした彼女がいた。
「あ…あの。大丈夫ですから」
「私が怖いのか?」
「あ…いえ、そんな訳じゃなくて!…そんな、気に留めて頂くほどのことではありませんので」
丁寧にそう答える彼女を見てルーファウスは、そうか、と呟く。
そんなことを言っても、どうせ怯えているのだろう。
ルーファウスにもそれくらいは分かる。何故なのかという部分はあまり考えることが無かったが。
無表情に戻ったルーファウスの瞳は、彼女の身体を見つめていた。
細い肩。綺麗に括れた腰のライン。
程よい柔らかさを伴った、それでも細い腕。
すっと伸びた綺麗な足。華奢な身体。
それから彼女の顔を見つめる。
くっきりとした大きな瞳。少し厚みのある柔らかな唇。小ぶりな輪郭。
ああ、と思う。
女の特権とはこういうものか、と。
それを見てきっと男という生き物は何かを擽られるのだろう。その小さな身体を守り、包み、抱きしめる。それがきっと普通なのだ。
けれどルーファウスにとってそれは、ただ、一つの解釈に過ぎなかった。
それを見ても、別に何も感じない。
怯えきった彼女を見ても、別に何も感じない。
「お前、好きな男がいるんだろう?」
ルーファウスは突然そんな事を言い出すと、自分から少しばかり離れていた彼女の身体を強引に引き寄せた。あまりに突然の事で、しかもそれは予測できなかった言葉だった為に、彼女は目を見開く。
そうしていつの間にかルーファウスの青い瞳に捕われると、その口から零れてくる言葉に身動きが取れなくなった。
「その男は、どんなふうにお前を見つめる?」
硬直したような彼女に、ルーファウスは次の言葉を放つ。
「その男は、どんなふうにキスをする?」
ルーファウスはそう言った後に彼女の柔らかい唇に、自分の唇を重ねた。
「―――その男は、どんなふうにお前を抱いた?」
彼女の大きな目が更に大きく見開かれるのを、ルーファウスの青い瞳は感情を持たないままに見つめている。
影が重なるまで、時間はそう長くはかからなかった。
意味など無い。
何も感じない。
怯えて抵抗すらしなかった彼女を、ルーファウスは無感動に抱いた。その場にあった気持ちを考慮に入れるならば、それはほぼ強姦に近いものだった。
男を惑わす華奢な身体を有した彼女。
抱いてみても、何も感じはしなかった。
それでも、その彼女に自分は劣っているのだと思うと、どうしても許せない気がした。
彼女は確かに、ある男に恋心を抱いていた。しかし相手はそれなりの立場の人間で、それは一社員である彼女にとっては叶わない恋だったのである。
話すことはあっても、相手の中に入り込むことはできない。それでもその男を見つめていた。言葉を交わすだけでも満足だった。
勿論、それ以上の関係など、ありはしなかった。
窓の外を見つめていたルーファウスは、背後からかけられた声に振り返った。相手が誰だかは声で分かる。そして、振り返ればその表情が良いものではないということも分かっていた。
そもそも、自分は疎まれている。
仕方ないことだ。
振り返った先の顔はやはり予想とおりに歪んでいた。
「火傷をした女性を覚えていますか?」
そう言われてルーファウスは、ああ、と答える。ふと浮かんだのはあの怯えた表情で、それは無感動な中にもしつこいくらいにこびり付いていた。
相手は、何も感じていないようなルーファウスの態度に嘆息しながら、通る声でこんな事を言った。
「辞めたそうですね」
ああ、そうだった。彼女は神羅から去ったのだった。
それを思い出して、ルーファウスは冷静な声でこう返す。
「任意の辞職だ。意味は無い」
「そうでしょうか?」
まるで責めてでもいるかのようなその言葉に、ルーファウスはほんの少しだけ笑ってみせた。
きっと相手は、自分に咎があると言いたいのだろう。
医務室での出来事については、彼女は誰にも漏らしていなかったようで、それに関しての妙な噂もなければ嫌な視線も無い。だからそれについては知らないはずである。
きっと、咎はあの火傷にあるとそう言いたいのだろう。
「謝罪をしろと、そう言いたいのか?」
「……もう遅いですよ。言う相手が居ないのでは意味が無い」
そう嘆息する相手に、ルーファウスは、
「大丈夫だ。謝罪をする必要性など無い」
そう言って笑った。そう、必要性など、今でも感じてはいない。彼女は確かに、火傷や強引な性交に苦痛を感じたかもしれないが、それでもそれに謝罪などする気持ちは一切無かった。
何故なら、彼女はある男に恋をした。
ルーファウスより優れたその身をもって、その男に恋をしたのだ。
幸せそうに恋をしたその顔で、ルーファウスに向かって笑いかけたのだ。笑って珈琲を出した、その男を好きな気持ちを抱いて。
何も感じないルーファウスでも、たった一つだけ感情の在り処は存在しており、その部分を彼女は挑発するように曝け出していたのだ。
その男に対してルーファウスは、どうしても感情が動いてしまう。それにはきっと意味があると思っていた。
けれどその意味の名前を、ルーファウスは知らないでいた。
ただ、彼女が許せなかった。彼女自体には何も感じなかったが、その男に恋をする彼女が許せなかった。
素直に笑って、華奢な身体を持っていて、幸せそうに恋する相手を思うその彼女。
あの男に、愛されているのかもしれない。
そう思うと、その華奢な身体を抱かずにはいれなかったのだ。
―――間接的な、熱を求め。
「ツォン」
ルーファウスはふと相手の名を呼ぶと、視線の先の相手を真っ直ぐに見つめながら呟いた。
「―――すまなかった」
突然の謝罪の言葉にツォンは驚いたが、しかしあまりにも意味が分からなくてその顔はすぐに戸惑いに歪む。
「何故、私に謝るのです」
それは尤もな疑問だったが、ルーファウスの中では意味のあるものだった。あの彼女に対しては何をしても生まれなかった“意味”が、彼女の恋したこの男に対してはこうも顕著に生まれる。
それでも、ツォンにとってはその意味は分からないものだった。
ルーファウスはツォンから目を逸らすと、そっとこう呟いた。
「言ってみたかったんだ」
たった一言のそれに、ツォンはただ眉をしかめるだけだった。
“貴方は謝罪の言葉一つ言えないのですか”
そう言って眉をしかめたその男に、自分はその言葉を言えるのだと証明したかった。
お前の為になら言えるのだと。
―――彼女には叶わないから、せめて。
たった、それだけの事だ。
END