12:純粋な顔
その日。
バレットのクラウドに対する一種の怒りは、とうとう爆発した。
それは勿論戦闘の事で、いつだか酒場でグチっていた内容そのものだった。
戦闘時に上の空の状態で立ち尽くしていたクラウドに、とうとうバレットは耐え切れなくなってしまったのである。
その戦闘が終わった途端、バレットは噴火したように顔を赤くしながら怒鳴りだす。周囲はそれに驚いたが、もっとも驚いた表情をしたのはクラウドだった。
彼は何が起こったのか分からないというような顔をして、バレットを見やる。
「お前なあっ!やる気無いなら、どっか行っちまえ!!」
バレットの怒号が響く。
一気に険悪な雰囲気になったその場に、仲間たちの不安が過ぎる。
こと心配そうな表情でいたのは、勿論ティファだった。しかしその横にいたヴィンセントは無表情のまま二人の様子を見つめている。
「バレット…ごめん、その」
「言い訳なんか良いんだよ!おめえの意思が聞きてえなあ!」
この戦いには重大な意味がある、それに対してやる気があるのか無いのか、とにかくそれだけを強調してバレットはクラウドの胸倉を掴んだ。
確かに、この戦いには意味がある。クラウドにとっても勿論それは同じだった。
今にも殴りかからん勢いのバレットに、クラウドはそれでも少し躊躇ったような顔をする。それがまた、バレットの怒りを増幅させるとも知らずに。
「俺…やる気は、ちゃんと…」
「はっ!どうだかなあ!?」
バレットはそのままクラウドを突き飛ばし、その勢いでクラウドの身体は地面に倒れこむ。
クラウドの力もそう弱いわけではないから、それはクラウドの方に避ける意思が無かったに過ぎない。
それでも見兼ねたティファは、クラウドの側にさっと寄ると、その手でクラウドを庇う様にしながらバレットに言い放った。
「やめてよバレット!クラウドの気持ちも考えてあげて!」
そうして自分を庇うティファを、クラウドは特に何も思ってないように見つめている。
それを端から見つめていたヴィンセントは、クラウドの態度の方に苦笑するしかなかった。
あんなふうに夜のクラウドと別れすっきりした日々が続いていたが、それでもこのクラウドの態度を見ると、ときどき厳しい心持ちになる。
クラウドは相変わらずの状態で、今もこうしてバレットに非難されるくらいに集中力が落ちている。
ヴィンセントも少し前はそうして集中力が欠けた時期があったが、それはもうすっかり復帰していた。なるべくクラウドに関わらないようにすれば、それで悩むことは無かったからである。
夜はどんなふうになっているかは、もう分からない。
きっと前と同じように、ふらふらと街をうろついているのだろう。
とにかく問題はこのクラウドである。今こうしてティファの後ろで黙っているクラウドの方なのだ。
クラウドの視線は、今でもヴィンセントを捉えることがあった。
あの、どこかツラそうにもとれる視線が、未だに彼の瞳にはあるのだ。
勿論、今でもその視線の意味は分からない。
ティファは、クラウドの暗い表情の理由はセフィロスとの問題にあると解決していた。それは紛れもなくクラウド自身が彼女にそう説明したからである。
しかしあの夜のクラウドは言っていた。そんな理由ではないと。
ヴィンセントにはいまだにその理由がわからないままだが、今ティファの後ろにいるクラウドは今でもその「なにがしかの問題」を抱えているのだろう。おそらく、誰にも知られないままに。
「全く綺麗なもんだよな。女に庇ってもらって良い身分だぜ」
「ごめん…」
素直に謝るクラウドは、本当に申し訳無さそうだった。確かに悔いているのが伝わってくる。
「クラウド、気にしなくて良いのよ」
パッと明るい顔をしてクラウドを振り返るティファは、これ以上ないというくらい優しい声でそう言った。しかし、そんなティファに対しては何故かクラウドの表情はあまり良くはない。
「ごめん…」
クラウドはもう一度だけ、そんなふうに呟いた。
クラウドがヴィンセントに話しかけてきたのは、その出来事の少し後だった。
突然声をかけられ、無意識に顔をしかめてしまったらしい。気づくとクラウドは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「ごめん、話しかけたらマズかったか…?」
「あ、いや…」
クラウドはヴィンセントの隣に肩を並べると、
「さっきの。変なトコ、見せたよな」
そんなふうにポツリ、と言った。
「何で私にそんな事を言う?」
「だって…その。…な、かまだろう?」
「ああ…」
本当にそれだけの理由なのか?―――――そう問いかけたくなる。
もしそれが本当の理由なら、仲間全員に対し、個別にそれを告げていてしかるべきだろう。しかし、さすがにそこまでしている様子はない。
風に揺れるクラウドの金髪を見ながら、ヴィンセントは次の言葉を待った。
「なあ。いつかさ、ヴィンセントと話したこと、覚えてるか?」
「え?」
「ほら、俺が変だと思うかどうか、とか…そんな事」
ああ、そういえば―――――そんなふうに思い返しながらヴィンセントは頷く。
あれはいつのことだったろうか。確かヴィンセントが、クラウドの視線について疑問に思った際に呼び出した、その時の会話だったような気がする。
そういえばその時、クラウドは変なことを言っていた。
“どうしたら楽になれるんだろう…”
―――――楽になる……?
「俺さ、バレットも言ってたみたいに、最近…何だか集中力が欠けてて。それは駄目だって事くらい分かってるんだけど…どうしようもないんだ」
「…それは、何が原因なんだ」
「…え」
「原因があるからそうなるんだろう?何だ、その原因は。それを取り除けば良い」
「……ああ」
原因は、ティファから伝えられた口実と、クラウドが隠し持っている真実と、二つがある。それは今目前のクラウドも分かっているはずだとヴィンセントは思っていた。
ティファが言うところの原因は“セフィロス”。
けれどそれはクラウド自身が否定をした。だから、それはまず無いといって良い。
では何が真実かといえば、それはいまだ明確ではない。
“決まった答えなんか無い”
そう言っていた、あの夜のクラウドを思い出す。その顔は、今のクラウドには勿論、無いけれど。
最初からこうして聞いてしまえば楽だったのかもしれない、そう思いながらヴィンセントは口端を上げる。
それがどうして此処まで湾曲してしまったのだろうか。
「それで、原因は?」
念を押すようなヴィンセントの言葉に、クラウドは顔を背けた。
「…言えない」
「何故?」
「…言ったら、全て崩れる…かもしれない」
「全て?」
どういう意味だ、そう思いながらヴィンセントは首を傾げる。クラウドは少し憂い気味の顔をしていて、何を考えているのかまるで想像できない。
どうしてこうも全てが明瞭ではないのだろうか。
隠しているものは絶対的にあるはずなのに、それを言おうとしない。だが強制するのも気がひける。
かといって夜のクラウドは、はっきり物を言う割には解決になるようなことは口にせず、曖昧な言葉ばかりを吐いていた。
「…クラウド」
ヴィンセントがそうクラウドを呼んだとき、それは一種の決断が含まれていた。
もう―――――良いだろう。
たまたま仲間として行動している身の上で、たまたま関わってしまった出来事。たったそれだけのことである。
先にはセフィロス戦も控えているわけだし、そうそう蹲っているわけにはいかない。
それについては、クラウドの集中力が欠けていることも問題の一つなのだから。
これで終わるなら、全て終わるなら。
それは少し前に夜のクラウドとの関係を断ち切ったときも思ったことだった。けれど、どうもまだこの出来事から離れるには問題があるらしい。
ヴィンセントはゆっくり言葉を放った。
それが繋がりのあることなのかどうかは分からないが、疑問の一つではあった。
だから。
「夜―――――どうして、あんなことをしてるんだ」
それは今まで、2人の約束として口には出さなかったことである。けれど、今となっては曝け出したほうが何倍も良いような気がする。
その言葉を受けたクラウドは、ふっとヴィンセントを見上げた。
そして。
「…夜、って…何の事?」
「クラウド…」
ヴィンセントの眼に映った表情。
耳に届いたその言葉。
それを確認したとき、ヴィンセントは驚くのではなく、顔を歪ませた。
何となく―――――おかしいとは思っていた。
あまりに違いすぎる顔。あまりに違いすぎる、全て。
それは”別人”といっても良いほどだった。
だからそれは…。
「クラウド。お前は自分が夜、何をしてるのか…知らないのか?」
「夜…?何してるって…普通に」
「酒場の地下の事も?…自分が口にした言葉も、私の事も?」
「…何?何の事?」
ヴィンセントの言葉に、クラウドは困惑しきった顔をした。まるで、なにも知らないという顔付きである。
実際多分その通りなのだろうが、昼と夜の両方の顔を知っているヴィンセントにとっては苦しい表情でもあった。
何も知らずに―――――夜、あんなふうにしてるクラウド…。
それには絶対、意味があるだろう。
けれど、その言動自体に自覚が無い目前のクラウドには、きっと何を聞いても分かりはしない。
そよ風に揺れる髪を押さえながら、ヴィンセントはクラウドの肩を掴んだ。
「クラウド。お前は…」
その赤い瞳には、何が何だか分からないといったようなクラウドの表情が写っている。真っ直ぐに見詰め合う中で、ヴィンセントは続きを言うかどうか躊躇った。
多分―――――昼と夜のクラウドは、別の人格なのだろう。
しかしそれを伝えてしまって良いのかどうかは分からない。それがショックに繋がるかどうかも分からない。
きっと目前のクラウドは、自分がそんな事をしているとは夢にも思っていないはずである。
特定の女性相手というならまだしも、男女無差別、とにかく節操が無い…そんな事実では受け入れるのもつらいだろう。
「ヴィンセント。俺は…夜、何してるんだ?」
やがて、クラウドの口からそんな疑問符が放たれた。
そう問いかけるクラウドは、ひどく純粋に近い目をしていた。